FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

値段に見合わない安物が氾濫

誰しも値段が適正なものを買いたい。
物の仕入れ原価や製造コストを考えると、高すぎるとかちょうどいいという適正がわかる。
財布にいくらあるかによって、適正さが変わるものは、適正とは言わない。
富裕層が原価の10倍のものを買って満足している場合、富裕層も馬なのであり、貧乏人だけが鹿なのではない。
適正さには、努力や知恵や連携などの総合力が必要不可欠で、これは古来日本では信心とも言った。
きちんとしている商売、職ならば、原価にのせる利益はあまり大きくない。
現代社会は世界経済の波があるから、利益と資産がなければ危険だという理屈で、とにかく利益率を上げることだけに終始。遠くの誰かが首をくくっても関係ないから、今期決算しか見ない。
パナソニックだけで電気シェーバーのラインナップが30以上もある。
わたしなら3つに絞る。
二万円の最上級モデルは、一万五千円で出せる。
つまりムダな経営で価格は高いので、物の価値より高い設定。
給与を上げるための方策として、政府支出を上げることも効果はあるのだが、実はそのムダな高い最上級モデルは給与があがってもほぼ選ばれない。
なぜかと言えば、中間帯モデルで我慢すれば、ムダに高い五千円と価格差五千円の計一万円を衣食住に回せるからだ。
一方、一万五千円で最上級モデルを販売した場合、店頭価格はそれより少し安く、中間帯モデルとの差が小さくなるので、最上級モデルを奮発して選ぶ。
経済はそれで回る。
日本企業や日本経済のために必要なことは、ムダな要らないもの、要らない業務をなくして、必要なものを優先順位をつけて、人材と資金を配置投下する知恵である。
政府支出の前に、政府の国家の設計図、国家プランが正しくなければ、異次元の金融緩和が向かう先は、反社会的勢力の繁栄と日本民族滅亡である。
民族主義と混同してはならない。
食糧エネルギー問題は、実は文化の問題であり、日本民族の文化と自然を破壊することで、現在の日本国勢の衰退があるからだ。
合理性はムダがないことだが、たとえば誰かが死ねばムダが減るという極端な橋下徹一派のような異常な主張は排除するべきである。
人間や個性を排除して成り立つ和という文化は改善されなければならず、ムダを拡張するだけだ。
高価な安い焼き肉とジャンクフードとユニクロで幸福だという安い人間を増やすのは、国の設計図が間違いだからである。
富裕層は人間として成長しておらず、弱肉強食の動物として、大衆の犠牲や死滅を予定して国家運営するように推奨する。
そのユダヤ主義のために日本の国会が機能している。
だから、一万五千円のものを二万円で売れば、利益が上がって、そのぶんジャンクフードが売れる。それを一石二鳥だという理屈である。
途上国レベルに堕ちた日本人たちは、愚かにも値上げ合戦の戦火に突入した。
良いものを安く提供するには、信心が必要だ。
馬鹿には、値上げしか選択肢がない。
欧米由来の製品サービスはムダに高い。
日本人の衣食住を脅かしている。
便利なものを高く販売して堕落を助長するキリスト様も罪深い。
すべてがカネと物量だというウソを洗脳することに成功して、日本人はパブロフの犬、サルになった。
と同時に精進する人がバカを見るシステムの日本文化も変えなければならない。
財政出動や家計収入適正化の前に、国家観を基礎から作らなければ、紙幣なんてムダな馬鹿のエサである。
人間が文化的に健康な生涯を送るために必要なことは、国の基本設計図であり、その依拠は日蓮正宗でなければならない。
日本人は死んだまま生きることに慣れていて、ペットフードと犬小屋が立派なだけで幸福らしい。
良いものを安く提供できない会社の物やサービスを買うことは殺人なみの悪行である。
紙幣を信仰して拝むだけのユダヤ帝国民の二級奴隷の日本のエリートを信用してはならない。
三級奴隷以下全日本人はまず洗脳されているという自覚を持つことだ。
昔は幕府代官に税を納めて終わりだったが、今は国、地方、経団連ユダヤ財閥、華僑系、中共企業にと何重にも税を納めている。
都心もスラム化しつつある。
まともな人間が減る一方。
危なくて仕方がない。
アベノミクスと円安誘導を続けて日本人滅亡へ向かう亡国の政府政策ばかりで、命よりカネ、値上げあるのみの一億総地獄は、ただの道理だ。