FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

丁寧な基礎的なバイオリン練習ができれば。。。この一瞬一瞬の命と共鳴に感動しながら。

ただ長時間たくさん練習することは、ある段階を超えた後が望ましい。

基礎を壊してまた一から基礎をやろうという段階では、長時間の練習はかえって危険。

エチュードも音階練習も、曲も少しずつワンポイントをひとつひとつ覚えながら着実に進めることが、失敗しない方法だと感じている。

音大を卒業している人、著名なコンクールに出場する人たちは、基礎ができているからこそ、長時間練習できる。

プロが稼ぐために基礎練習をさぼって演奏家寿命を縮めることは悲しい負の実例集である。

いかに毎日丁寧に基礎練習に取り組めるかが、演奏者、演奏家の一生の幸不幸を決める。

シュラデークひとつでも各弦を丁寧にやろうとすると骨。

クロイツエルのワンフレーズ、ワンセンテンス、しばしば一音一音が演奏者に慎重さを要求してくる。

音階の熟練度には相当な期間を要するが、常にゆっくり1回弾いてから早めに一回弾くのがセオリーで、そのゆっくりがとても価値のある一回だ。

曲の間や進行は演奏者にさらに深いゆとりを要求する。

慌ただしく、量をこなすことを毎日やり続けるのは、演奏者や学習者にとって自殺行為となる。

あるバイオリンの専門家は一日3時間で受験や専門音楽大学の学生ができることを説いた。

ひとつひとつ丁寧にやって、あまり量を、覚える内容を欲張らなければ。私は今2時間くらいで一日の練習が終わる。

課題だけでなく、少し部分練習を含めた復習などをすると3時間余くらい。

若気の至りの時期、基礎がある程度確かだった時期は5時間も6時間もぶっとおしだったが、基礎を喪失した中年になるとそれが毒になることに気が付かざるを得ない。

また一からやる機会に向き合うと、2時間から3時間が集中力の限度である。

そして、そのよい集中時間は、他の学習に活かされる。

ある程度の集中や気配りをもって、他の学習をすることができるので、はかどる。

私にとっては、バイオリンは意識や精神を左右する大切な起点なのだ。

日本語を覚えるよりも早く、バイオリンで曲を弾いたことがその原因理由だ。

今でもそれは変わらずに、バイオリンをきちんと弾けたぶんだけ、他の学習や認知が正確に確実になる。

そうでなければ、残念ながら犬猫のようなものだ。

言語に備わる要素のほとんどがクラシック音楽には備わる。

この関連性に気が付かざるを得ない。

2021年からのあまりにも美しき伴侶(バイオリン)と一緒に余生を学び続けたい。

もちろんいつかレベルのある音楽を人と共有することができるように願いながら。