FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

85年日航機墜落と財務省は本丸ではない

知識豊富で知名度もある経済アナリストが余命幾ばくもないというのに、水を差すのは本意ではない。

しかし、やはり東大の経済だなというガッカリ感もある。

彼は円高を問題にしているから、勿論急激なものを指しているのだと思うが、釈然としないものがある。円高で輸出産業がダメージを受ける時期に輸入産業が儲かるし、日本の価値が上がって(正味により近く評価されて)輸出産業の心配をするというのは本末転倒であり、昨今のアベノミクス不況の原因でもある。

適正なドル円レートなどというものは、本来実体経済に即して勝手に市場で決まるのだから、介入とか経済協定とか公定利率とか人為的なものの効力には限界がある。

財務真理教という題の本を面白く書いても、そもそも彼も教団幹部の美味しい御利益をまったく享受していないわけではない。

多少なり自作自演であろう。

出世のために緊縮財政をやるのが問題だという人がいるが、そもそもなぜ日本で出世したいのかという所を忘れている。

さらに、85年日航機墜落事件についてアメリカへの借りという見方の人たちが見落としているのは、無制限な借りではないことだ。

重大な秘匿事件が起こった場合に無理をして完全に隠そうとしても、部分的には事実を残さざるを得ないわけで、永久に闇に葬ることは到底できっこない。

日本政府として毅然とアメリカに物が言えないのは、墜落事件だけが原因ではない。

確かに2つの大きな日本政治のディスアドバンテージではあるが、日本人の心がそれを超えられないことが、日本の凋落をもたらしている。

心でもあり日本人の規範でもある課題は案外日本人には見えないのだ。

私のブログでは度々日本人の病について触れてきている。

何を信じて何に従うかという規範や心の問題だ。

アメリカと財務省に従うだけの心を入れかえないと永久に日本が浮き上がることはない。

それは地獄を自分たちで選択しているから地獄なのであり、地上の楽園を選択すれば良いだけのことだ。

フライトレコーダーは公開されるべきだが、まず司法は公開させない。

アメリカのケネディ暗殺事件の記録が法定年数で公開された後、記録には大した記録がなかったことを想い起こす。

フライトレコーダー以外の記録はおそらく大した記録ではない。

みんながショッキングでタブー視する案件は記録そのものがタブーなので、記録そのものは不完全なことも多い。

真相に迫ることも大切だが、政府が終わるということを極端に恐れる日本人は異常だ。日本政府なんて終わっても大したことはない。多少の混乱を経て落ち着くところに落ち着く。

戦争そのものではないし、それぞれの生業の評価は多少上下するだろうが、価値のある重要な日本文化は保存されるだろう。

ただ問題なのは、政府が終わっても神道地獄が終わらないことだ。

政権を交代しても、事故の真相を白日のもとにさらしても、財務省を解体しても、別の財務省、別の事件事故、新しい政権の変容が繰り返されるだけである。

日本人はもっと自信を持って新たな規範と豊かな心の麗しい民族として再起するべきだ。

個人個人を分断して長いものに巻かれるように誘導するだけの旧態依然のアジア政治を守る神道国家に未来はない。

概して東大京大の欠点は近代化の過程でアジア史に日本人を埋没させてきたことかもしれない。その流れでかつぐ神輿をとっかえただけで、アメリカにへつらう根性が集団心理として顕在化しているとも見えるからだ。

日本のアドヴァンテージは戦後経済の中でより明らかになったのに、まだ大国の言いなりというのは戦術であれ戦略であれ不味い。

ただ心で方向転換をみんなで決めれば良い。

弱い者いじめをやめて、みんなで繁栄するための政治を選び、年月をかけて上昇発展していくぞと腹をくくれば良いだけのことだ。

本来は日本は超大国の次席だ。

せっかく生まれてきたのだから、未来志向か地獄志向かの二択をクリアに選択するクリアな心と頭脳を持ちたい。

むしろ経済アナリストとしてより、人間として結局良心の叫びを完全に殺すことができなかった森永氏には賞賛もまた必要であり、戦いきって思い残すことがないようにしていただきたい。

彼は自分には甘いが、良心から真実を求める人間としての気持ちはよくわかる。

名声とは別に、誰しも極悪の共犯者や加担者として死にたくないのだ。