理系信仰、技術信仰の日本人たちがわんさかいて、しかしそれこそ企業が人間を使い捨てにするための技術を簡単に実現するためである。
理系技術系なら確実に就職できて、まるで薔薇色の人生かと思わせる。
賢ければ、大学院と長期間の研究ができる就職先が必須だと考えるが、一般大衆は馬鹿なので、薔薇色の人生かと思って努力したつもりなのだ。
かわいそうに、本人の意思で変などうでもよい仕事のために安くこき使われる。
まさに労働者使い捨ての技術。
技術があれば、人間なんてどうでもよい。
そう経営側は考えるものだ。
それこそ日本政治の目的だ。
だからこそ私は10年20年以上「技術の日本」というコピーに反論反発してきた。
この国では技術は人間のための技術ではない。
人間を不幸にするための技術である。
立憲民主党もさらに状況を悪化させるはずだし、そもそも人間なんてどうでもよいらしい。
用いる言葉で人は不快を感じることは承知しているが、語彙力の不足を恥じながら明示すべき趣旨だけは明示したい。
日本人は企業や政治、つまり日本人に何も期待しないことが大切だ。
気の毒な途上国に過ぎないのに、指摘とその扱いがショボすぎる。
そして重要なことは、自分さえ善ければよいのではないことだ。
大衆が賢明になることより大衆を懸命に働かせることの日本は・・・・。
馬鹿のまま。
商売する上でのルールがわからないのは、大手の商売人だけではないが、みなさんが政府公務員やエリート階級主義、身分差別を支持するしか脳がないのでは、成長しない。
国民が成長するための教育機会均等をすべての国民に担保するために必要な技術について、政府は喫緊の課題として検討会と有識者会議を設置するべきだ。
理系技術系の職業訓練機会はすでにほぼあるのだから、これからのニーズがなんなのか見定める必要がある。
国全体のパイを大きくするという前提からまず実現してもらいたい。
階級や格差はどうしても遺るのだから、それをわざわざ悪化させることは国やエリートには期待されていない。
そんなことも見えないのが、人間の性だから、耳順の60から。
60歳以上の日本の政治家はクソガキみたいに意地を張ると格好がつかないので、ぜひ童心にかえって自身の成長を期し、もって国民の成長、消費者の購買力向上を諮っていただきたい。