(欧州の若手カルテットのゲネプロ風景)
反ユダヤ主義で事件が続発する中でドイツ副首相の発言はもっともだ。
ただ本質的なところが戦争と犯罪に訴えないためのエッセンシャルなものの見極めであることを忘れている人が多い。
右か左かというユダヤ財閥グループへへつらうためのマスコミの誘導よりも、殺害を前提とする戦争と犯罪を抑止するための各位の心との向き合いだ。
ある人はお経を唱え、ある人は十字架にひざまずく。またある人は判例記録を見比べ、ある人は被害者と直接向き合う。
内外相対という仏教用語と聖書聖典の多くの教えから、我々は事実と向き合う必要がある。内外は極めると一致するという意味だ。
報復は真に必要なのか?
戦争犯罪をおかす価値などあろうはずがないのではないか?
知慧はないか。
抑止、停止のタイミングはないか?
イスラエル軍が実際に攻撃している間に、反ユダヤ主義の事件を責めるのは無理な注文に見える。
停戦すればよいのだから。
イスラエルに一方的殺害を赦す資格は誰にもない。
生命の価値に優るものはない。
すべての生命を最大限護れない官僚や政治家の責任こそ問われるべきであろう。
国連の話も聴かないような危険で暴虐の政治家官僚たちに対する制裁こそ人類のつとめではなかろうか?
ユダヤ教徒のための地球ではない。
人類のための地球であり、一人一人のすべての生命のための地球だと確信する。