FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

世界平和が実現しない原因

人生のピンチは難民になったり生命の危険があったりという次元のものだ。
人が生きていてうまくいくことなんてあまりない。
せいぜいタイミングが良かったとか相性のよいご縁があったとかでお幸せ。
まあご無事で健康ならピンチのうちに入らない。
何百万円すった程度、元気ならどうにでもなる。
ロシア軍が満州に攻め込んできて、父方の祖父一家はピンチに陥る。敗戦で軍票も紙切れになり、資産は全部ロシアのものに。
難民になった。
ウクライナは徹底抗戦でロシアをてこずらせているから、そろそろ核兵器使用が現実的になった。
ロシアはずっと核兵器は使用すると宣言している。
核兵器使用に罪悪感などない。
徹底抗戦を選択しておいて、核兵器使用が悪いとのたもうても、あえなく無視される。
戦争を選択するというのはそういうことなのだが、ウクライナ人も日本人もそれを理解していない。
アメリカだけに核兵器使用が許されるという根拠なき主張。
イスラエルアイアンドームをめぐらせ、台湾も防衛網迎撃体制を整えるのは、いつ攻撃があるかわからないからで、戦争は人類の宿痾でもあり、人類が戦争を放棄するならば核兵器所持使用も同時に放棄するが、それはない。
道にお金が落ちていたらすぐに誰かが持ち去るし、草原の果物は食べる。
遺産をめぐって争うし、過失責任割合を争う。
人間はそういう程度の生き物だ。
地球を豊かにすることが、争いを減らす最短距離。
宗教を改宗して政治的に進化しなければ、それも難しい。
人間不信や政治不信は正しいのである。
平和の妄言にそそのかされたりのせられたりしてはいけない。
現に宗教ひとつまともに議論できないのに、どうやって議会で議論ができるというのか?
考え方がメチャクチャでは議論は不可能で争いが起こらないほうがおかしい。
日本人の言う経済は企業が第一で、先進国では国民生活が第一。
カルト(セクト)の定義と認識がまともかどうか?
日本は戦乱の前に平和がない。
脳ミソが戦乱におかされて、財力や腕力の類いだけで安心している。
世界ではユダヤ人が財力と戦力で安心して戦火を拡大する。
ゼレンスキーとウクライナ人に核兵器を使用するのはロシアの自由。
停戦降伏しなかったためにそうなっても、誰も責任のとりようがない。
可哀想な人たちでもあり、日本人もかなり危険が近い。
日米同盟はただの必須。
共産党独裁が解けるまではどうにもならないだろう。
自由主義の中で最も危険なカルトの自由で、国力が弱体化している。
脳ミソをやられてまともな国になるわけがない。
スーパーコンピューターを狂人が使っても戦争には勝てない。
絶対的に確実に正気にかえるために、日本人にとって大石寺信仰は極めて核心的なテーマだ。
無知な日本人は危険。
学ばない日本政府は極めて危険。
また日本国を焼け野原にしてトンズラするのだろう。
自分ひとりのピンチをなんとか乗り切る努力はあたりまえだが、国のピンチは手に負えない。
国が滅びていくなかでのピンチは何をやっても無駄だし火に油を注ぐだけなのである。
この日本国の有り様では危なくて活発な動きができず、まったくどこに自由があるのか教えてほしい。
独裁者の自由と個人の自由で、どちらも自由だからこそピンチを選び、滅びるベクトルは同じ。
いつ命が尽きるか誰にもわからない。
一瞬一瞬を大切にしよう。