タコノミヤキをつくってみた。
だしを混合節でとり、小麦粉、卵、キャベツ、ネギ、イカ、コーン、タコをまぜてフライパンで焼く。
ちなみに最近のウチは焼くものはすべて鉄のフライパン。
学生の頃、明石の中八木の浜によく散歩に行った。
波の音と砂浜でしばらく時の流れを言葉にできない感じ方で整える。
明石焼きもたこ焼きも、タコの歯応えが好きで、でもいまだに産地の違いや種類、雄雌の別もわからない。
タコ検定や政治家として有名な泉房穂氏は、若い頃は東京の高田馬場に住んでいたそうで、なにか正義感とともに不思議なものを感じるのは、高田馬場が生活圏内だからかも知れない。
私の出身地は、残念ながらお好み焼きや関西圏を正しく理解する大衆はそれほど多くないように思える。
歴史的な畿内である明石であり、小倉藩に明石経由で小笠原氏が入ったことよりも、幕府権力の密偵や長州藩に幕末敗れたことやヤクザ映画の影響力のほうがよほど大きいらしい。
細川家が規模が大きく戦闘力が目覚ましかったこともあるのだろう。
政治でも文化でも、国民の分断が著しいように見えるのは、わたしだけではない。
それなりに多くの人達が危惧する。
バイオリンを弾くと言うと、みんなすごいねと言って拒絶する。
公卿系の専売特許の中世的ギルド社会は敬遠されがちだ。
音楽や文化が分断のために使われるのは、音楽家にとっては心を引き裂かれる思いだ。
日本には心あるクラシック音楽家は少ない。
民衆、同胞にすら疎外されるつらさというのもあるが、国体と主権在民の溝が鮮明になるばかりでは、悲しい音楽である。
喜びの文化、音楽はもはや二極化でますます難しい。
二極化ならまだましで、公家華族趣味に限定するとなると、歌舞伎と大差なく大衆とは無縁になってゆく。
分断して憎しみ合いを煽り立て、冷たく孤立させていくジャパン。
学生時代にお好み焼き屋で同級生たちと鉄板をつついた記憶は曖昧で遠い。
もんじゃ焼きはスナック菓子だと東京で知った。
日本地域、関東中部近畿、それぞれみんながみんなで楽しめる文化がない。
それぞれが誰も信じられない社会。
楽観的に可能性を大切に行動力ある人間がたくさんいればよいなと願っている。
タコを食べる文化は日本全国共通なのだから、希望をもって人に優しい地域づくりをして欲しい。
神札を貼っているNGOや神棚を祀っている警察は、一般市民や困窮者にたいして冷酷無情だから、気を付けるように特記しておく。