連続では危険なケースがある。
衣食住が不安定だったり睡眠や食事や運動の質量に問題があったり、出力100%ですでに危険。
家族や雇用形態なども影響する。
そういう心配がないように調整することがまず第一だろう。
ひた走る時、それはキャパシティを上げるために全力を使う。
それぞれのキャパシティを長期で考える。
私の場合は総合的に2割〜4割しか今は使っていない。(使えていない)
それなら100%が2〜4割で換算して500%から250%の出力が丁度全力で、これに老化ぶんだけ補整すると現在の150%〜250%を目指すことになる。
そこを目標にすると、120%で突っ走るのが手っ取り早い。
やがて容量はそれ以上増えなくなるから、あとは維持するために容量の80%で流すことになる。
スポーツ心臓ではないけれど、似たような感覚だ。
運動しないと不調や痛み(失速・墜落)を感じるが、運動量を一気に増やすとその量を身体が思い出す(上昇・飛行)。
その運動量に心身ともに安心する。
老化はバッテリーの劣化にも似ていて、さすがに満充電の量も質も低下している。
年齢と経験から心身のバランスも質と量を左右することが分かる。
いかに集中してパフォーマンスを上げるかが重要になっている。
瞬発力と持続性のバランスも多少変わり、トータルの調整をしながらキャパシティをどんどんあげていく。
すべてはよい演奏や天寿のために。
心身は使わなければ弱ってダメになる。
指先の感覚だけではない。
心身全体を機能させて活性化させる。
いろんなことを、できるだけ楽しんで追求探究することが、私や不調や高齢の人それぞれにとって大切なリハビリのようなものになるだろう。
いたわりやねぎらいと同じくらい大切なことだと思うが、環境とよく調和できるように留意したい。
もはや100%で連日走ることはない。
40〜120%の間を行き来しながら、キャパシティが着実に上がる体感を楽しむ。
比例して生活全般が良くなるように創意工夫している。
幼児教育では、バイオリンの早弾きで遊ぶがどうしても全力疾走して事故る。
成長する内容は自己統制の範囲内で走るようになること。
去年来講師らから指導されているまさに同じ留意点。
ブレーキで即停止する徐行を要する交通事情と流れにのって30km超えもある道路状況等、普通車で事故にあったこともあって青信号直進の危険性をよく理解して、制御能力こそ重要だと思う。
瞬間最高速度は問題ではないし早弾きに価値はない。
青信号だから安全と子供に教えては危ない。
赤信号で停止していても安心できない。
マルチなこだわりのオトナの加減がとてもとても大切なのだ。
身体から大自然の声が聞こえてくる。(カール・フレッシュの著作から趣意)
日産スカイラインに見る日本の優秀さの正体 虚像を見抜け
という記事で最高速度を追い求めることについて書いていて、幼稚さから脱皮する価値やバランスある性能について触れていた。
車だけではない。
人も同じだと思う。
ものづくりの哲学と生きる上での指標がどこかで交錯している。