毒を自覚、知覚する。
人間の身体には毒がある。
ゼロの人は仙人でそんな人は見たことがない。
脳にも毒があり、まわりだすと危険だ。
散歩や運動など発散することをやらないと。
ゼロではない毒を感じるためにも、発散行為必要だが、慎重さを要する作業も自分の体内の毒を感じるためには有効だ。
睡魔に適正な健康のための自然なものがあるように。
ホットコーヒーを飲むとぐっすり眠るというパターンも不思議な身体の保全作用だろう。
だから私の場合、バイオリンの基礎練習は貴重な精神の保全効果を引き出す。
面白いのは曲だと気分を満たし高める効果がやや大きく、飲酒効果と毒性を増すことすらある一方で爽快にスッキリまとまる曲が多くあることも確か。
してみると、基礎練習がどれほど精神状態を映し出すものかという鏡になっていることに気が付く。
練習して毒が発生するのではなく、練習して毒を自覚できるところがオツなのだと思う。
人それぞれ毒の容量が変化するし、森羅万象に反応し、土地柄お国柄で毒性が変わったり薬になったり毒消も変わり、その法則や解釈の部分が遺伝や宗教や経歴でも違うが、要するに限界をどこに設定するか、転ずるだけでは無理がきて危ない。
無限ループ理論の法華天台宗一念三千を理論通りに自己統制できるはずがない。
内的毒素を自覚できるところが、何よりの安心安全であり、そういう意味合いで私自身にはバイオリン演奏がどうしても必要だ。
運動など発散が必要なのと表裏なので美しい音や曲に毒がまったくないとまでは言い切れない。
しかし世間一般的に健康のための運動や努力が毒になることもしばしばあるのだから、やはり落ち着いて自身の心や精神状態を真正面から見つめる一時が大切だと思う。