自由と民主主義で、みんながめんどくさいと多数決をとれば、虐殺は実現するのではないかと思う。
はたしてそれは自由か?
多数派は絶対に正しいという思い込み。
一殺多生という親鸞の教えを信じている人達は、一万人のための1人なら殺してよいという。
その1人が拡大解釈されて、いつの間にか51人のために49人殺しても多数決で正義の民主主義だという。
大乗仏教だから大きい方を救えるが浄土宗の救済対象は実際狭くてどこが大乗なのか理解に苦しむ。客商売が愛想良くして多く儲けたいというのも大乗らしい。
これは昔からそうだから、現代でも同じで、政府の政策の根本理念だ。
どんな1人も殺めてはならない。
その起点の違い、原点の違いは今も日本人を苦しめ続けている。
国が浄土宗を使っているから、カルトに寛容過ぎて、半数未満の苦渋も発病も死亡も問題ないとしているのである。
残念だが日蓮宗各派までカルト的要素を発揮しているので、むしろ無宗教とかフリーメイソンとかのほうがまっとうなのかもしれない。
欧州は分母が全国民だから生活保護も給与もきちんと上がっていじめ処罰法ができる。
日本は最初から半数殺す予定の政策立法。
それは日本人が幸福にならない原因、非常識的常識、道理なのだ。