FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

銃撃などの被害をとばっちりだという二次加害二次被害

安倍さんが銃撃されたのは無関係な宗教がらみの個人的うらみからだからとばっちりだというネット上の書き込みがたくさん。
安倍さんの血筋で無関係だというのはかなり無理がある。
にしても無関係な人から銃撃されたのでは?
宗教上は安倍さんは神道と浄土宗。
だから無関係だというのでとばっちり。
実はこれが一番無理がある。
神道は日本の多数派で政治がらみ。
マスコミや弁護士が言われるとおり新興宗教を野放しにしている。
宗教が自由だからといって財産を出させるのも自由だという。
規制をかけるのは信教の自由に反するといって政治的に無規制。
しかし実は宗教法人の公益性については専門の議論が積み上げられている。
だから寺院の拝観料を半額にしたり、炊き出しに協力したり、何らかの公益性事業が半ば義務付けられている法人も多い。
ただ法の趣旨を律義に議論して実行しているのだと思うのだが、新興宗教はそういう立派なことはやらない。
信者から1円でも多く借金させてでもとりあげて、あとは知らぬ存ぜぬ。
ボッタクリバーとか追いはぎみたいな呼び込みを野放しにしているのは、神道なのである。
容疑者が恨んだり標的にするのは、国政がらみと神道がらみで、非常に理にかなうわけである。
因果関係が、A野放しからのBボッタクリ。BボッタクリからのC破綻破滅。C破綻破滅からのD効果的標的選定となっており、まさに直接の関係はないと感じる人も多いが、世界中で誰もがA野放しの当事者になっていることに気が付くべきだ。
災難の根本原因を研究すると、同じ悪事の野放しをするにしても、確信犯の見逃しを国政レベルでやることの危険性は極めて大きい。日蓮立正安国論について日蓮正宗26世日寛上人も三大原因の1つと解説している。
日本中の大衆が銃撃事件で宗教に気を付けろと語り合い、統一教会新興宗教は危ないとマスコミでも語られていることは、不幸中の幸い。
人類が苦しみから完全に逃れることは永遠に不可能だ。
宗教がなくなることもない。
死体を埋めたり放置したりするわけにはいかず、ゆとりがなくても埋葬するのは人類とともに永遠に続く。
きちんとした宗教などほとんどなく、高額な経費を求めることばかりで、自由と民主主義で人類はますます動物化して、これからさらにボッタクリ宗教の餌食になる悲惨な人が大勢増える。
それならお金がほぼかからない、日々の心豊かに努力できる夢のような宗教を求めるべきだ。
もちろん夢のような話を期待するのは、間違っている。
しかし、とばっちりだということで、容疑者と同じ境遇の無数の苦しみに対する無関心と見放しは無数の加害行為を生み、自分がまだ出会っていない容疑者と無関係だということで、見知らぬ犯罪計画中の容疑者に無関係な自分に対する攻撃を正当化することになる。
そんなバカなヤツ知らないということで、さらに犯罪はエスカレートする。歴史上の無数の事件は模倣犯なのではなく、心の法則性による。
京アニの犯人が看護師の看護に感動したという。
もし看護師が犯人の心を完全に無視して迷惑な患者だと表明したら、犯人はまた過ちを繰り返すだろう。
われわれ大衆が作る社会の空気をよくしていかなければ、不幸な境遇で努力している人たちを追い詰めて、凶悪な事件に向かわせることになる。
国政にたずさわる人たちも国民一人一人も、一人一人の心を敬って、穏やかに努力できる空気を大切にしなければならない。
同じ国、エリアの生き物にきちんと配慮できなければ、いつ刃や銃弾が向かってくるかわからない。
主要な宗教の教義や分類程度の基礎教養くらい知っておかねばならない。
心を無視している人たち。
精神保健を忌避する人たち。
宗教の冷静な議論ができない人たち。
日本人はほんとうに危ない国の危ない民だ。
心を大切に敬っていれば、宗教の公益性についての具体的詰の文科省行政がなされているはず。
そこを改善することから国政の各分野にそれは波及して犯罪は激減するが、国は心を無視している。
国民がそれを変えようとしないから、とばっちりなどではなくて、犯罪発生なんてただの道理であり、人間の心の因果応報なのである。