FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

強要しないなら国葬は不要

無宗教だからとか弔意を強いることはないという詭弁を公言している政府与党。
無宗教ならそもそも葬儀しなくてもよいし弔意がない。
誰しも持っている心と国籍を無理矢理結合させるのが政教一致
国という行為主体者が宗教的行為を行うことが国民に対する弔意の強要になる。
民間の浄土宗だけではひろく弔意を表せないということもない。
各人各様の弔意はそれ自体に儀式を必要としないし、各宗派の儀式によるべきだ。
無宗教共産主義の方のために国が出費して儀式をやるようなもので、むしろなにもしないほうが弔意は大切にされる。
お札と同じで国の発行したものは使わざるをえない。
経費の額の問題ではなくて質とか道義的な問題で、政教一致そのものの国葬強行だ。
社長命令で自由参加という場合に社員には選択権がない。
いやなら会社を辞めるように、いやなら海外へ追放してやるという本心を言い繕うのは悪質なのではなかろうか?