FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本のバイオリン弾き特有の難しさ 文化的貧困とスズキメソッド

長く弾いているアマチュアや初心者がたいてい上手には聴こえず、なぜあんなものやるのかわからないという風潮。
なぜ上手なアマチュアや初心者がいるのか考える。
教えるのはソリストとして大成しそこねた人ばかり。
絶対的に受けた教育と恵まれた環境が違うので、はなから生徒が上達するとは考えていないことが九分九厘だろう。
上手なアマチュアはスズキメソッドの哲学や生徒を大切にする先生からしか育たない。
音楽そのものの素晴らしさに迫り続ける真摯さが必要だ。
生徒には音楽への感受性が必要で、先生や仲間と深められるだけの雰囲気が必要だ。
やっても無駄だという態度はさすがに出さないまでも、腹の中では絶望的でもお構い無し。
鈴木鎮一のよいところは、つねに人のために生きることを基本に据えていたこと。
一人一人が良き人間になるように音楽と哲学を習得するために楽器を使ったこと。
うまく弾けることは哲学を担保する。
下手なのは哲学がわからないから悪徳商人になるしかないよと。
見栄でも格好でもない音楽とその高みを第一の基準にしなければ、かえって上手いことが罪作りにすらなる。
上手く聴こえるとか、コンクールに入るとか、結果的には喜ばしいことでも、それは1番の目的ではない。
スズキメソッドの哲学に深い教室も生徒を大切にする先生も日本では希少。
補助金が少ないからといって生徒がただの金づるでは、音楽文化は育たない。
マチュアのそこかしこの悲惨さがその証拠である。
鈴木鎮一の遺志が太く流れていかない。
霊感商法だという非難まで流布される始末だ。
他人や世間に対して優越感を感じるために、または階級意識の具現化のために、音楽を学ぶ人たちが大成しなかったとき、一般の素人たちを見下すよりほかはない。
世界で音楽を楽しめた人たち、人のために生きるのがあたりまえの人たち、音楽そのものを探究した喜びの経験者たちこそが、日本人の育成にあたるべきだ。
高額な報酬しか頭にない人たちには、私利私欲の音楽と商業音楽が向いている。
教育は向いていない。