FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ミス・不調・音楽

ずっと昔大学のTゼミの壮行会でエンターテイナーのソロを弾いた折、弓の毛を張り忘れて弾き始め、弓元で誤魔化したことがある。
血の気が引いたのだが、聴いているかたがたはお気付きにならなかったようだ。
音程やリズムなどまったく問題なく、むしろ教授に喜んでいただいた。
これはミス。
大学の懇親会での演奏本番前に急遽この良いモダンを使用しなさいというオバサン風の先輩がいて、使ってみたら、全然弾けずに演奏しながら固まった。
本人はもう充分練習して弦合奏の合わせもできているし、まともに弾いているのに、出てくる音はイメージを裏切り続ける残酷さ。とうとう音程まで外す。
これは不調の一種。
数年前、芸大の首席卒が室内楽で明らかな不調をさらしたので、わたしだけではないのだと変に安心したこともある。
さらに、昔の幼児教室で、誰もが演奏に集中して最後まで弾く。中断は先生しかさせない。
演奏に集中というより曲に没頭なのが普通だった。
私の知る限り、たった1人発表会の演奏が途中で止まったのは私の妹だった。
弟が妹をイジメ怒鳴り付けてバイオリンの練習を邪魔したのだ。
妹が演奏中に止まって泣き出したことを深い心の傷として憶えている。
弟は自分が1番で自分が巧いのだとたかだかスズキメソッドの6巻しか弾けなかったものを勘違いしたのだ。わたしは兄として赦しがたいので厳しく制裁したが彼は逆恨みした。
15年前に幼児教室発表会を再び訪れると、今や曲に没頭している生徒は50人以上で3人とか5人まで。
途中で何度も気が散って、ほとんどの生徒さんはまるで音楽していない。

ミス・不調・音楽というものを考える。
人間のミスも不調もある程度は致し方ない。
しかし、度をこえて人に強いたり暴言をはいたりすることは音楽を壊す。
あの生徒さんたちは何かに怯えながら弾いているかのようだ。
楽しく弾いていない人は可哀想だし気の毒だ。
子供であれ学生であれ社会人であれ、人格に対する尊敬はきちんと持っておかなければならない。
たとえその時は誤解されたとしても、平常の敬意を持って音楽を大切にしたい。
きっと音楽家の遅刻問題もその派生だ。
日常的な心の習慣がなにより大切だし、私もよい演奏のために日々精進しながら上達したい。
粗暴で野卑な人には近寄らないで、人間として幸福になるように、表面的社交辞令とうわべの態度や懐柔に負けないように。