昨日の失敗は本人にとっては大きな痛手で、限定公開されていた動画を見ると、舞台での過剰な緊張の中で、最後まで一応弾いている。
直前までほぼ完璧に弾けて、身体が突如こわばって統制不能になり、心配していた音がよく聞き取れなくなるアガリかたはまったくなく、その予測ができていたとしても身体がスムーズに動かないことへの対処方法は弾きながら思い付かないし手遅れ。
ナンだコレはと思いながら弾いた。
過緊張とか日常ストレスの問題かと考えたが、ほぼ舞台だけのことなら違う。
普段のものは無自覚な場合もあるが、以前講師は姿勢の修正矯正の話、構えの話をしていて、動画を見るとやはりそのクセは明白だ。楽器を持ち上げる。
つまり練習を長時間気合いを入れてやると過緊張状態が作り出されて、最も脱力するべき舞台でガチガチになる。むしろ練習ゼロのほうがリラックスして弾けるパターン。
今、独りで考える対策は、運動不足解消とバイオリンの構えを修正することと慣れにまた舞台にあがることの3点くらい。
ピアノ合わせの時からして意外だったのはピアノの音との融合を楽しむことがまったくできないほどのこわばりかただったことだ。
そのなかでの体験の楽しみというのが、果たして楽しみと思えるのか、楽しみと呼べるのかビミョーなところ、今後マシになるように願うが、8分弱の統制不能体験が恐怖として記憶されてしまうと発表会の意義がマイナスになりかねない。
自己ベスト最大限の準備をしていたからこそ、その程度の失敗で済んだのだと考える。
8ヶ所の半音未満の音程のズレ。
フレーズのリズム感の狂い。
デタッシェのアラ。
音楽が成立していない。
バイオリンの良さが伝わらない。
力むと脳裏で予知していたかのようにクニオ・ユーリの毛増量弓を使っていたのは、同じ制御不能の中で確かに音がよく刹那のベーゼンドルファーとの融合を微々感じられて救いとなった。(ベーゼンドルファー・インペリアル290)
もしマーキスだったら、力みが破裂音のような不快な音になり、失敗を最大化した。
つけ刃と久しぶりだから、まあそんなもので充分だと言い聞かせるくらいしか手はない。
参加者のほぼ全員が悲惨な失敗や不如意を経験していた。
難易度はそれほどでもない曲で、80人中一人だけ外国人名を漢字にあてている小学生が素晴らしい音楽演奏をしていたのが印象的で、一人精霊が満ち溢れていた。
あの感覚なら、わたしは世界一のモーツァルトが弾けただろうと思うような素晴らしい音楽演奏だった。