FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

20220811 2年ごし

午前中シュラディークとオクターブ音階とクロイツェル27番を片付ける。

お昼お寺に寄ると10時間唱題の日で、10分だけ唱えてから、2年ごしのデュオコンサートに向かう。それほど遠くない便利のよい会場だったが暑さには閉口する。

初めての会場、初めてのリヒャルト・シュトラウスソナタ、初めてのお客さんたち。
どこかで見かけた顔もあるが面識はない。
椅子の間隔がなくて、お隣さんが恰幅のよい方なので少し窮屈でとてもカロリー放射が高い。

ピアノの村田茉莉花さんの話から始まり、バイオリンの岸川りほさんが至近距離で演奏くださる。
コロナで中止になって、改めてのデュオコンサート。
いろいろな困難を乗り越えて目の前に御二人の演奏家がいる感慨。
お客さんたちは、演奏家の話に笑う方も多くて、そのギャップはいつものことだが大きい。
真剣に楽曲に取り組み向き合う若手の心境を想う。
彼女たちが、きちんと準備してこうして演奏を披露くださるということそのものに、喜び愉しさを感じているのは同じなのだが、言葉の内容をまるで咀嚼しようとしているとは感じられない反応だ。
演奏家にはできるだけ苦労やどん底なんてないほうがよい。
いくら楽曲を理解するためでも、かえって理解できなくなる苦労(努力)というのもある。
正攻法でありきたりに苦労はどうしてもあるから、若い時の苦労は買ってでもとか、可愛い子には旅をさせよとか、今の時代には遠慮がちに言うべきだと思う。
身になる苦労、実になる苦労、何にもならない苦労と、害になる苦労。
ピアノのほうはわからなかったが、バイオリンのほうは不調らしき印象。
そのなかで、リヒャルト・シュトラウスの明るさは救いにも似た世界観があり、演奏家の若さが未熟さにはならない味わいや深みを感じるフランクで為になった。
これからまだ2回の海外演奏会が控える2人が楽しい思い出を作ってくれるように願っている。

帰り道に再びお寺に寄り、40分ほど唱題。
明るくなり、気合いが入り、帰宅後練習。
クロイツェル2番バリエーション4つ。四分音符=144
クロイツェル19番・21番。
モーツァルトバイオリン協奏曲4番全楽章カデンツァ付。
モーツァルトバイオリン協奏曲5番カデンツァヨアヒム。
曲のなせるわざ。
相乗効果。
自分の楽器がとても明るい音なのだなと感じた。