FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

擦弦楽器の発表会のすすめ 任意の必須

子供も大人も発表会で弾くのはとにかくオススメ。

特別な事情、法事とか欠勤できないとか、どうしても参加できない方は致し方ないが、そうでなければ参加しない手はない。

手とは将棋や囲碁の話だけではない。

どちらかと言えば子供のほうが成長著しいと考えるのだけれども、正味は同じで、未完成だからこそ舞台の形式を踏んで演奏する意味と効果がある。

専門的には、目標は公開演奏というひとつの形であり、平たく言えばシンプルにどこかで誰かに喜んでもらうためである。

人が聴いて楽しめるように、日々練習に取り組むわけだから、本番の練習として発表会がある。

本番が家庭内とか会のだしものとかコンクールとか専門科入試とか各々違うだけで、目指すところは良い音楽を奏で人を楽しませることだ。人も自分も音楽は良いなと感じられるようにつとめ一歩でも近付こうとする具体的な方法が発表会なのだと思う。    

なぜか日本の音楽教室では年に一回か二回程度しか開催されず、わたしが通った教室では年に四回プラスアルファだった。

わたしは数年間だけだが、年に四回以上きちんとしたピアノ伴奏のホール演奏の機会に恵まれた。

昨今の経済環境で困難な方が増えて、誰でも出来るという印象ではないが、熱心ならみんながみんな参加可能性がないわけでもない。そこは真剣な気の持ち方がいくらか影響する。

とにかく数年間、正式な発表会にまともに4ヶ月ごとに参加してよかった。

機会があれば、伴奏とか共演とかで演奏するべきだし、それはつまり本番の練習には食らいつくくらいの勢いが要るのだと言いたいわけだ。

幼児期だから伸びるというのは、絶対幼児期しか伸びないというわけではないから、いくつになっても挑戦するべきで、二十歳や30代なんて若者の青二才でチャンスなのだ。

さらにわたしは40代の後半になって再挑戦するのだが、ある有名なドイツの教育者の見方とバイオリンの専門家の記述を総合的に解析すると、人間のひとつの完成は60代、7年ごとに成果が出るとされ、いましばらくは伸び盛り、還暦以降も筋トレ効果は高くて練習の成果が期待出来る。

極限を極めている人だけが老化で衰えるから、彼らは大人になってからでは遅いというだけのことだ。

極限なんて必要ない大多数は伸び盛りの自分と向き合うやりがいを見出だすのも大切たろう。

ただ聴く人を楽しませることを第一にする純粋な人ならば、難易度のハードルとか見栄とかにこだわらずまずは本番の練習をしなければ人が楽しめる演奏になっていかない。

失敗やミスは準備の練習がまだ出来ていないからで、自信がつくまで発表会に出るという粘りが要る。

もうひとつ、講師の立場から言えば、発表会を避ける人はあまりにも伸びないので、教えがいを感じられずにヤル気はそれほど盛り上がらない。

発表会でうまく弾けない人は練習や演奏があまり楽しくないからで、それはそのままレッスンの内容が掴めないからなので、なにをどう練習したらよいかわからないため。

そこで発表会のために懸命に努力して一つでも掴もうとする機会がどうしても必要で重要になる。

思い出してみると、幼児期は余計なことを何も考えずに曲だけに集中して、ひたすら懸命に曲を楽しめたが、大人になっても余計なことを考えず曲(音楽)に集中できるように楽しめるように、もちろん私事の範疇だが、なにをどう頑張ればよいのか試行錯誤してみようと思う。

わたしの場合、ここ10年余り、人に聴いてもらうと緊張が半端なく、弾いている間中トンでいるので、やはり慣れが必要だなと痛感して観念した結果の参加でもある。

そのうち感想をまた記事にしようと思う。