FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

新アリとキリギリス 27年前に読んだ「音楽家の社会史」を思い出す


「音楽家の社会史」西原稔著は、今は新編のほうしかなく、96年に旧版を大学図書館で見つけたのは奇跡的だった。

もともとイソップの話はアリとせみだったそうで、キリギリスに変わった経緯がよくわからない。
キリギリスは決まってなぜかバイオリンを弾いている。
ヨーロッパでは冬になって食べ物をもらおうとアリを訪ねて断られ、あえなくキリギリスは死んでしまう。
日本ではアリが食べ物を恵んでキリギリスが翌年からまじめに働く。

これだけで実にくだらない話だと思う。
キリギリスはバイオリンをまともに弾けたのだから、勤勉に練習をして仕事をしていたのである。
アリがキリギリスに食べ物をあげるからバイオリンを聴かせてくれと頼むそういう話になっているバージョンもあるので、アリは音楽に理解を一応示したという態度である。
ヨーロッパでは物語ができた当時は、バイオリンは娯楽の無駄なものとしてバイオリニストであるキリギリスをたくさん見殺しにした。
だからこそ、音楽家たちは組合を作って保険制度を創設せざるをえなかった。
アリというより大衆は音楽にそれほど価値があるとは考えず、食べ物やおカネを恵んでやらなかったのである。
冬というより不況とか食糧難の状況における社会保障の問題である。

アリの専門家が言うのは、7割のアリは働いていないし、1割のアリは一生働かないまま死んでいく。
日本人の1パーセントは働かなくてもよいし、一次産業と必要最低限の二次産業三次産業で計算すると、日本人もそれほど全員まじめに働いているとは言い難い。
アリが勤勉だという主張は食料に関する部分だけである。
小説カモメのジョナサンでも問題になっていたのは食べる分のために苦痛を受け入れるだけでよいかどうかという点である。
人類の7割もそういう意味では働いていない。

現代の日本ではアリがまじめに働いたらどうなるか?
冬のぶんをどうにかしたいはずなのだが、年を取った時のぶんをどうにかしたいのだが、今月だけでもやっとの勤労者がどんどん増えている。
バイオリニストのキリギリスは階級によって、貯金ができて旅行に行ける部類から、やはり今月だけでも危ない部類まで幅広い。
そもそもセミは2週間しか鳴けない。
アリだろうが、キリギリスだろうが、みんな貯蓄をしたいしきちんと食べたいしバイオリンを楽しみたいのである。
欧米では社会保障でインフレでも不況でも困らないが、日本のアリとキリギリスは99%まじめに働いても困りごとがたくさんある。
まじめに働くことが大事なのではない。
社会保障システムが大事なのである。
時給や給与が適切に決められ、給付金がすぐに下り、奨学金は支給される政治を選ぶことが、まず前提条件である。
そのうえでまじめに働くアリとキリギリスは食料備蓄だろうが音楽家だろうがみんな幸福なのである。

政治を野放しにしたまままじめに働くことは愚かなことである。
日本人は底の抜けたバケツで水を汲んでいる。
せっかくの貯金は金融緩和に円安にインフレで半減。実質的円の切り下げ。
アリは発狂したり体を壊したりし、キリギリスたちはやつれてよろよろとさまよい、大地は死体で満ち溢れる。
楽家のユニオンなどがあるのに給与報酬はあがりそうにない。
新アリとキリギリスは日本版がもっとも悲惨なようである。