FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本人のガラスの天井 障害者に優しいつもり

川崎バス闘争という騒動が、1977年4月にあったことは、まったく知らなかった。
乗車拒否の問題で、バス会社ぐるみで拒否していた。
それに対して抗議するためにバスをたくさん止めて15万人に影響がでた騒動らしい。
警察官が対応したが当然簡単にはいかなかった。
印象的なのは、政府運輸省の無視対応である。
バス会社のやりかたと乗車拒否を全肯定である。
1999年にようやく国が運輸規則を改正。
さらに23年もたってバリアフリーはまだまだ使えるほどにはなっていない。
騒動は困るという人たちが多いが、私は権利獲得のために必要なものは騒動でも闘争でも致し方ないと思う。
身体障がい者が合併症を起こしたり、学校職場や用件に外出できなかったりするのは困るはずだから。
政府構成員もバス会社運営者も有名大学を出て弱者に優しいつもりだったのか、人権感覚が著しく欠如している。

もうひとつの視点。
身体障がい者でも恵まれている人たちは、自家用車を改造して運転できる。
富裕層や収入の良い家庭なら知的精神障がい者でも大学を卒業できる。
重度障がい者が会社経営をしたり、大学の研究者をしたりしている。
そして一方では、残飯をあさったり、駅の乗り換えで苦心惨憺したり、やっかい者は迷惑と誹謗されたりしている。
教会では聖職者たちが障がい者を排除したり無視したりし、寺院では障がい者の存在そのものを宗教的罪であるとして自殺教唆まがいの教えを説く者もいる。

先日、ニワトリの卵の記事を書いたが、狭いところでぎゅうぎゅうのニワトリは発狂している。そのニワトリが生まれた時は健康で、その環境によって発狂している因果関係は歴然としている。
そのニワトリ飼育の基準を決めているのは、養鶏会社である。
ここでも政府がその劣悪な環境を全肯定している。
農林水産省の基準がとにかくユルい。
ヨーロッパとはまったく違う日本人には、ニワトリのために経費と手間をかけるのは迷惑で厄介な話だという考え方。
発狂しているニワトリの卵を食べたいとか、ニワトリを発狂させてなんともないとか、感覚がおかしい。

日本人の常識と基準は、人間としてのレベルではなくて、動物レベルでイカれている。
そして希望は富裕層だけにある。
富裕層は動物に優しいつもりらしいが、それは人口の1%の子孫にだけ優しく、99%の日本人なんて死んでしまえばよいという会社と政府のやり方で、一体どこが優しいのか、客観的にはまったくわからない。
なんのために税金を納めるのか、どんな食べ物を選ぶのか、子どもや障がい者が安心できるようにする政治家はいないのか、考えるべきだと思う。
障がい者を虐め殺す社会では、子育ては孤独、子どもも悲惨な成育状況ばかりであり、1億8000万羽の卵用ニワトリも発狂している。
異常すぎる日本人に、考えて判断する能力がないことは明らかだ。
政府と国会にまともな人間がいないことを直視して、まず動物レベルでまともな人間を政治家として選ぶ必要がある。
私の場合、投票先に世間体は関係ない。
日本政府をただせるかどうかだけが基準である。
同じ国土地域で飢えた人間やイカれた動物が充満していて平気なのは、完全に重症の証拠である。
かつて政治家が「女は子どもを産む機械」と発言して物議をかもした。
ニワトリも女性も産む機能に目をつけられて心を無視されているのは同じだ。雄ニワトリなんて機能はないから理由なく問答無用に屠殺される。
心なんて無視しましょうと口裏を合わせているのは政府自民党系なのだが、心を踏みにじって平気な彼らは障がい者に優しいつもりなのだそうだ。