FujiYama’s blog

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MMT(積極財政)はなぜ拒否されるのか?

f:id:FujiYama:20211223151653j:plain経済のお話と人情や経済観念とか経済センスとかいうものは、個人の財布の感覚の影響でゆがむのがふつう。
これを科学して把握しても私の財布に良いのか悪いのかよくわからない。
MMT(積極財政)といって、国が国債を増やせばインフレで貨幣価値が下がるから、われわれの所得が目減りする。従ってMMTは悪であるという見方は一面正しい。インフレ率の上限を設定しているのだから、貨幣価値は実際下がる。
学者は、供給(生産)能力に応じて貨幣を発行するのだから問題ない、と説明するのだが、せいぜい5年程度目先の供給能力までを見てインフレを意図的に起こすことに変わりがない。
そもそも現在の供給能力はどのように算出しているか考えると、常に余力があるとは限らず能力を活かしきっているとも限らない。相当なラグがあって、実体との読み違えが現在と将来ともに起きる。豊作凶作、流行り廃り、伝染病に大災害まで数値は常に流動的で幅が大きい。
MMTが供給能力を根拠にすることは、実は不完全でいい加減な国債発行を生みやすい。
断っておくと、私はMMT推進に条件付き賛成だ。
外的要因として今後明らかに欧米の物価が上昇して円が安くなり、円は弱くなる。
この状況でいくら通貨発行しても円が弱くなることは同じであり、しかし発行しないために弱くなるという理論の根拠は別問題、なおかつ発行することで実体経済と国民が弱くなりつつある現実を黙殺する効果を持つためにさらに問題を深刻にする。それでも大幅な発行は現時点で必要だ。
欧米はMMTで貨幣を発行して投資するからインフレも含めて経済成長するところと、日本だけが発行を抑制して、あるいは一部の企業と株主のためにだけ国債を発行して、その国際的なラグがどのように影響するのか、すでに将来予測がある程度成り立つ。
MMTが有効なのは、条件付きで、砂漠化した土壌全体を潤す財政予算を組んだ場合である。
最近自民党がにわかにMMT推進と言い出したのは、まさに利権団体だけにオアシスを保証せんがためである。維新がカジノで事業をやれば業者がたんまり儲かるが、大阪府民の税負担が増えるというまさに悪事悪循環のMMTである。
自民党の場合は防衛予算のためだから、一定の必要性はあるが、インフラや科学教育その他の必要性最優先のものにバンバン投資するためにしては、おかしな予算で規模が小さい。
岸田総理大臣のキャッチはよい方向性なのだが、内実が脆弱な施策になっているから、肝心要の日本人が激減すること、人材や食料品自給率を確保できないことに対して、ほぼ無策である。
現状MMTは日本のためではなく、一部のためにだけカネを流す潤すために使われ、結果として消費税増税その他国民負担は増え続ける。さらに日本の砂漠化が進行する。
日本の生産能力は、どれだけ外国人で補っても低下するから、生産性、生産技術、安定性を考えて日本人を増やすことが第一であり、そのためにMMTを活用するのが、王道である。
しかし残念ながら、政府は税負担、公共料金などをひたすら増やして、所得を抑制して、なんの目新しさもない旧態依然の新自由主義体制を堅持している砂漠化推進、少子化推進政権である。
政策を小手先でいくらかマシにすれば高評価をもらえると踏んでいるのだろうが、実体は大量殺戮の国民虐待の施策を厚顔無恥に堂々と開き直ってやらかそうということである。
全体像は国民人口、所得倍増、多子化、食糧、生産性向上などの実体経済の拡大で判断される。企業収益はその一部の一時的産物にすぎないことを深く心にとどめなければ、MMTとかキャッチとかはすぐに剥がれる金メッキに終わる。
日本人は死んでも辛抱するから、大量に死亡して子供が減っても、誰も問題だと感じていない。
キャッチではなくて統計的に効果のある政策として子供を増やさなければ、絶対に日本という国が終わることは間違いない。
富裕層の富裕層のための富裕層による政策を続けることは新自由主義そのもので、生産を落とす政策を正当化するキャンペーンだけで歴史を誤魔化すことは不可能である。
ゼロ成長でよいという極論は実は地に足が着いていて、MMTは適正になされないと見越した卓見でもある。
ゼロ成長でも所得倍増は可能であり、貨幣価値は額面とはまったく別に存在する。
ただゼロ成長がそれほど長く続くことはあり得ないだけで、一時的に必要なところに回せるだけ投資するという確実な政策を打てという勧めに過ぎないものでもある。
MMTもゼロ成長理論も、どちらとも不完全で、どこに主眼を置いて目標を立てるかが一番重要な起点になる。
わたしは食糧科学技術を日本文化とともに安定供給できる国のあり方が重要だと思うのだが、いたるところで外国人が外国語で会話し業務も外国語、食糧は常に外国頼み、科研費はない、生産ノウハウ後継者がいない、安価な外国製製品の氾濫、自殺変死発生の常態化、目先の利益だけ、増税ありき、プラ化学香料だのみの低品質高価格、CMだのみの政府広報、株価に右往左往の総理大臣という、およそ文化的とはいえない情けない国に成り下がっているこの手の着けようのない程度の現実は、ほんとうに深刻だと言える。子供の貧困、若い世代の発育不良、、、。
経済は経済の起点たる人間を変えなければ変わらない。
人間が作る国や経済、人間が作る程度とはどの程度なのか?
世代をこえ、継承される精神の美しさとは?
アジアの伝統としての師範と弟子たちの営みの文化程度を誇れる人間をどのくらい遺せたのか?氾濫する貧乏人がまともに育つ師弟関係はどこへ消えたのか?貧困でありながら精悍な若者を溢れさせてハイレベルな中間層を分厚くし、技術と人材の生産性の高い国にするために投資を惜しむのは、今日今期限りの利益配当に振り回されているからだ。
本来的な日本人の良さを活かす方向性を打ち出すことができるならば、国家経済の指標は適正化されていくことだろうし、MMTもゼロ成長理論も適切に用いられることになるだろう。
そのとき、日蓮を忘れていては、ピンボケの人気取りに終わり、日本という共同体もまた終わるのである。
鳥居と鳩やカラス、バッタや害虫のために犬死させられるあわれな日本人たちは、本人がいくら努力して足掻いても決して浮かばれない。
カネに群れるだけの生き物たちはどこの国にもいるのだが、現代の常識がまったく見えないまま或いは常識を無視して平気なのは、日本人くらいかなと思う。
日本人のグローバリズムは見栄や格好の猿真似であり、キリスト風の浮わついた惰弱な日本はよろしくない。しかもそれが底辺下層だけではなく中間層に感染して重症化している。
伝統、知恵、精神、深さ、美意識、そのための世代を見通した責任ある政治施策にすべてを組み換える必要がある。
バブルの頃から大豆より日本文化の遺伝子のほうが先におかしくなってしまっているのだ。公立学校の現場からまず感染拡大して、今に至っては食べさせる給食の質も著しく低下した。
おカネは使えば消えるが、魂や精神は無限大永遠の価値を持っている。
文化の遺伝子は魂と精神からであり、育成の人間関係こそが最重要であり、国は商業のためにはなく、人間のためにこそ存在している。
心あってのカネという順番を、カネあっての心にしている与党主要政党による野合神道政治では、これからの日本はますます悪くなる。
命あっての物種。心あっての行い。そこについてくるのがカネであるにすぎない。
ほんとうはMMTが問題なのではなくて、政治をやっている人や学者にまったく信用がないだけなのだ。
カネを追い回す大蔵財務官僚と媚びて回る学者政治家の発言には、ただの御愛想どまりの政治談議におわり、媚びへつらいには科学的正解よりその場しのぎその場逃れの無責任主義が蔓延しているにすぎない。
議論の土壌を調えるためには、まず人間の魂の根本たる宗教の本尊から変えなければ不可能である。
国民一丸となって為政者と相互の尊敬と信頼を実現するためにこそ、日蓮正宗の正しい本尊が有効だ。