経済用語としての生産性はほんとうは経済とは言っても会社の利益率程度のどうでもよいレベルのもの。
経営者と株主にとっては、長期か短期か、同族か新参立ち上げか、様々に利益率を考える。
しかし、それとて一企業、一企業グループの範囲。
統合して日本でまとめればソ連や中国みたいなもので、利益率が高くなるのであれば官僚に任せるとよいのではないかと甘い期待をする阿呆が多い。
生産性と利益率は当然ながら一致しない。
利益率をある程度まで確保しようとすれば、中長期の生産性を犠牲にする。
高望みせずに、欲張らずに、中長期の生産性を重視すれば結果的に利益率を維持する条件が整う。
生産性は、数年間のものではない。
単期ごとでみてはならず、職種や業種にもよるが、高度な専門教育と実践的な人材育成を必要とする。
2年契約とか10年契約とかありえないし、短期契約は生産性を考慮しないものに限定される。
利益率を優先して部門や子会社を売却するとまた生産性が低下する。
技術人材資産を失って単期利益を無理に計上して株主のご機嫌伺いをする自滅経営が横行している。
生産性は企業の連携力でも大きく変わるから、国際外交が重要になる。
物流交通も大切だが、暗雲は政府から垂れこめる。
最も重要な人材育成をまったくやるつもりがないから、労働市場活性化と耳当りが良い言葉で誤魔化して、要はいつでもクビにできるようになっている。
利益率のためだけに、自由にクビにできる。
少子化対策もまともにやらないとなり、生産性だけでなく生産力(供給能力)も目に見えて壊滅的になりつつある。
子育て支援とは耳当りがよいが、その実、虐待を家庭内だけでなく学校でも公然とやり、障害児を無理やりにでもあぶり出していじめぬく。
労働者の生産性を考慮すれば、奨学金は給付でなければ意味がない。
生産性には結婚子育てという世代の継承が本来は含まれている。
年金や生活保護だけでゆったり生活できて子育てができれば、それがそのまま賃金や処遇の充実と企業売上に反映されるが、官僚組織の考え方ではその逆をやる。
利益率のため賃金や処遇を抑えるためには、年金生活保護の基準を抑える。
年金は死亡まで支払われるが、介護認定等は期限ごとに支給を抑制し、生活保護など日割り月毎で支給を抑える。
利益率のために経費原価を抑えるから、商品もサービスも劣悪化する。
しかもキャンペーンや政治工作で近年は公的サービスでも同じことをやっているから、学校教育がさらに劣悪化し、保健所や図書館、児相、公立病院に民営化された事業まですべてにおいて日本が劣化している。
中国の躍進を理由に経済縮小、少子化を理由に経済縮小、日米関係を理由に経済縮小、国際化を理由に経済縮小、国の借金を理由に経済縮小と、どの理由にも合理性はない。
中国の躍進ではなく、日本政府の失策による経済縮小である。
少子化は対策をやらないから少子化しているだけで、欧米先進国では対策をマジメにやって人口を微増させて経済発展している。
日米関係で武器を買うために日本の必要な予算や投資をサボり続けているのも官僚。
国際化や外交という利権に湯水の如く予算を浪費するから日本人の公務員を含むまともな雇用が破壊される。
国債は国が返済できるもので、通貨の信用とは別のものだ。
返済に貨幣を印刷して支払う。
通貨の信用は、使って使えるかどうか、通貨の価値が上がるか下がるかが大半だから、使えて上がれば信用が上がる。
国債発行を抑制すると、円は価値が下がり持っていれば損をするから使われなくなる。
国債発行を適切に行えば、事業と雇用、国民生活、国勢がプラスに回転するから、日本は健全化された国へシフトし、円の価値が上がる。
日本の生産性は官僚が故意に落としている。
ソ連や中国と同じように、ひたすら有名大学出身者と官僚の椅子を増やし、軍需産業(高配当企業)だけが目当てになり、公的サービスが機能しない。
税金をいくら増やしても、税収がいくら上がっても、還元するべき国民生活はどうでもよい。
還元されない制度で生産性は最悪になる。
国民生活が維持できないから、教育レベルも企業活動もどんどん劣化する。
官僚から見ると、それこそ生産性最大化なので、国民は35歳まで過労死ラインで使って税金をとりまくれば税収が最高になるという寸法だ。
予算投入と生産力の関係ではなく、予算をかけずに大きく儲かる、国債発行せずに税収が増えることを生産性だと間違いを正しいとしている。
間違いだから、生産性と生産力、国勢は衰退しているし、円は安くなって価値が下がり、生涯賃金も激減し、社会保障では生活できないようになって、日本ブランドも劣化低下、国際的地位も低下している。
生産性をまず考えるべきは官僚政治家であり、零細企業や労働者たちではない。
国勢をきちんと伸ばす政策をたて、必要な予算を惜しまずに国民生活を豊かにすれば、放っておいても生産性は上がる。
ほとんどの場合、生産力を上げていくサイクルの中でしか生産性は上がらない。
そのためには、国債発行と必要な予算が絶対条件である。
公的サービスに効率や費用対効果を追求する思想は、ソ連や中国のように一部の特権階級が潤うための国民搾取を目的としている。
民営化も同じだ。
公共部門や公的サービスの無駄を判断する適正基準を破壊する新自由主義は人類の敵である。
公正な競争の前提は、公正な公共部門公的サービスの充実だ。
中国がまだ開放されていなかった頃の北京で見た雰囲気を連想した場所は、ある県警本部の建物内だったが、官僚化した公共部門の非公開性非効率性は深刻である。
賽銭泥棒や闇バイトを取り締まるための諸経費も生産性は最低だ。
本来は政治がやるべき仕事をしないために、ゆがんだ国の方針のために、みんなが不自由に忍耐や無駄な努力を強制強要されている。
紙幣という神札を強制的に拝ませる憲法違反状態を現出しているのだ。
予算を斬りまくると経済的砂漠になり水に飢えるようにカネに飢える。
水が欲しいカネが欲しいとなれば間違いなく拝む。
政府官僚政治の目的は国民の幸福追求や個人の尊厳などではなく、神道崇拝を国民に強要することである。
それは財閥代表としての天皇を拝ませる違憲政策であり、神道政治の課題を論ずることを治安維持法や不敬罪で取り締まった戦中と同じように、マスコミや政府は国民を凌虐する方針らしい。
天皇がかつがれる操り人形なのは今に始まったことではない。
そういう議論をするなら、政治的に排除し、仕事は回さず、マスコミでつるし上げ、労組だろうが国会だろうが組織なら懲罰にかけ、果ては精神医療で監禁し、警察は捜査拒否し、様々に弾圧する。
生産性とは、神道に逆らうものを殺し(排除し)、賄賂させ低賃金労働させるためのご都合。
北朝鮮の某独裁政府のようにワガママな幼稚園児が好き放題できれば生産性向上なのである。
日本に生まれただけで不幸だという国民が急増している。
実感としても統計としても生産性は最悪だ。
早晩、平均寿命が恐らく60代までは低下するから、官僚は優秀な財閥大株主の犬である。
人間としてやってはならないことを断行するために、政治家を操って国民を洗脳し、弱者を直接間接に虐殺させている。
その証拠に投票率は半分程度で一定の死票どころか死人に口なし。
飼いならされたゾンビに投票能力なし。
洗脳された国民は、自動的に攻撃目標を設定して他の生産性を低下させて表彰される負の連鎖。
自殺予防対策は効果なく宗教政策と経済政策で自殺を推奨して平和な国を標榜する。
ルースベネディクトの菊と刀の現代版を狙っているわけではないが、観たままありのままである。
この国には比喩的表現が事実と異なると批判する程度の人たちが多いが、生命と人間をあまりにも軽視しているからこそだ。
日本に生まれて良かったと喜ぶためには、自殺率が高過ぎるし、国の生産性が低過ぎる。
官僚や有名大学出身者たちは、妄想やパロディとは違う現実と実体経済から目をそらすための、見当違いな批判や細かいあげあしとりをする暇があるのであれば、国民生活をまず豊かにして子育てしやすい国に変える努力をするべきだ。
私利私欲の東大京大卒や留学組などのエリートが生産性生産力ともに破壊して日本を蝕んでいる。
人間の個々の尊厳を破壊している。