FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

麻生太郎氏のなにが問題なのか?

「人間が生きていくうえで大事なことは、朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。この気持ちだと思います。」

 ちょっと聞くと素晴らしい言葉の様に聞こえますが、近年報道でハローワークでの氏の発言が耳に飛び込んできて唖然としました。

 仕事を探しに来た人に対して「今までなにをしていたんだ」と仰ったのです。

 まさかと思いましたが、やはり満足に努力をしてこなかった人に対する言葉のようです。

 つまり冒頭の言葉は、実はたんなるきれいごとにすぎないということがわかってしまったのです。

 今、日本で一生懸命努力して、仕事を失ったり、病気や障害で絶望的な毎日を送ったりしておられる方方がいて、毎日感謝するゆとりもない生活を余儀なくされている人たちがたくさんおられます。

 街を歩いていたり、店舗の中を歩いていたりしていると、本当に余裕がない方々が増えました。7年前に東京へ出てきて、山手線の車内にみすぼらしい恰好をしたお嬢さんたちがちらほらいて、なんだかこれは首都の都心の光景らしくないな、という印象を受けた記憶がありますが、近年は値引き商品に群がる人たちがオバタリアンだけではなく中高年の紳士たちという有様になりました。ほんとうに日々ゆとりなんてまったくないのが手に取るようにわかります。なんだか心の中で気の毒でお疲れ様と合掌したくなるような気持ちです。

 私も私なりに、彼らも彼らなりに懸命に努力しているのに、生活はまったく楽にならない現状があり、そこになんらの同情もなく改善策も打たないままに、困窮している人に対して「今までなにをしていたんだ」ですから。。。

 希望を持てずに毎年自殺者が大量に出ているのを嘆いているのであれば、政府としてきちんとした対策を強化するべきですし、経済苦に対しても手当を支給すべきですが、そういうことはまったく知らないし、するべきではない。相変わらず努力しろというだけの財閥のお坊ちゃんには呆れかえるばかりです。

冷や飯食うぐらいの覚悟を持って戦って当たり前だ。」「変化を乗り切きる日本人の力をどこまでも信じて疑いません。」

 こう言い放ってシラッとしておられるその心理というのは一般的な人間の感情からかけ離れたものを感じます。学習院政経というのはそういうものなのかと失望しました。政府にどっぷり頼るのは精神的によくありませんが、しかし危急存亡の失職、家賃が支払えないような生命の危機、水道や電気が止まるような家計の破たん、企業経営の破たんなど不可抗力に際しては、これは政府しか打つ手がないものも多いわけですから、シラっとしているのはいかがなものかなと思います。

 5万円の給付に関して状況が違うから支給しないというのは、今の状況を正しく理解できていないということを、自ら示してしまっています。なにも5万円が欲しくて記事を書いたわけではなく、困窮者と勤労国民の幸福追求のための施策をまっとうに考えない一定の政治家に対してうんざりしたり怒ったりする複雑な心境からです。冒頭の言葉は勤労国民からは税金を取るだけでなにもしてやらんという悪徳代官の開き直り宣言だったのです。自己責任論で、障害者に対する自殺の強要もどきも平気な方であろうかと存じます。地盤の筑豊地方の常識とやらがあまりにひどい地域だったのを知る身として、これは言い過ぎではないと感じています。

 80にもなって影響力が多少なりある麻生氏に関しては、あまりにきれいごとが過ぎるので、趣旨は多少かぶりますが、また別に記事にしたいと考えています。