FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

池袋暴走死傷事故 研究実績の功罪

 やはりそういうものかなと思いました。飯塚被告が踏み間違えを修正できなかったと言わず、自動車に問題があったと言ったことです。

 苦しい言い訳みたいな話ですが、自分が間違えたことを認めたくないという心情なのでしょう。遺族にお詫びが言えるということも自分はお詫びが言えるから正しいという心情から来ています。つまり間違っていても正しいで押し通す人生がエリートの心情であり小理屈なのではないでしょうか?

 誰の目にも明らかな過失は過失でしたと認めるのが合理的な考え方だという風にはならないのが、ある程度高度な知識や経験がある人たちに共通した態度なのでしょう。

 せっかく研究や実績がある仕事のできる人でも、その上に胡坐をかいて他者を見下し続けていると、自分の犯した過失に対しても、いや私は勝者であるから過失ではないのだ、という心理に陥ってしまうことはよくあることです。

 人間というのは実績を積んである程度の立場になろうとする生き物であると同時に一度手に入れた地位や名声を損傷する事故や出来事があると、それを隠そうとするものですし、この方のようにまったく認めようともしないわけです。それは立場がかなり上のところに到達したからこそ、手放したくない地位なわけです。

 あまりに見苦しく、遺族の方々の御心情などまるで本心から考えていないんだなと感じました。心から残念なことですが、まさにこれはよくあることですね。