FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

死刑制度存続にみる日本人の病理

以前、日弁連は、死刑制度廃止を求める要請書を法相に提出した。
これは国際的な流れと冤罪を根拠にしているので主張としては弱い。

20年に公表された国の世論調査(5年ごとに実施)では、約1500人のうち約80%が「死刑はやむを得ない」と回答した。このうち半数以上が「被害を受けた人や家族の気持ちがおさまらない」「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」との理由を選んでおり、4回連続で80%超が死刑を容認している。
日本人大衆は理性より感情的になって殺害する民族性があり、極めて危険な国民性だ。

犯罪被害者の支援に取り組む弁護士らでつくる「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」は「被害者の遺族は一日も早い執行を願っている。第三者が死刑制度に反対することは被害者の尊厳を踏みにじることになりかねない」とする声明を出した。
その感情が先走る危険性は弁護士によって傍援されており、もはや先進国の弁護士としての資質がない。

古川禎久法相は記者会見で、死刑容認の世論が多数との認識を示し、凶悪犯罪が後を絶たない現状から、「死刑を廃止するのは適当でない」と述べ、そのうえで、「刑事司法制度のあり方は基本的に各国において国民感情や犯罪情勢、刑事政策を踏まえて独自に決定すべき問題だ」と発言した。
容認は世論とは言えず、感情論の抽出である。悪循環で死刑があるから凶悪犯罪は正当化される。
政府閣僚の立場で人道的基準を否定して犯罪抑止になるという支離滅裂な発言は、日本国の信用を失墜させる重大な失言である。
独自性と感情論を混同している。
感情に配慮するならば、犯人の感情にも平等公平に配慮しなければならないし、負の連鎖を先進国はいずれも断ち切ることに成功している。
日本人は先進国の中の異端であり、異常者集団であることを自覚するべきなのだ。
死刑は国家による国民殺害事案である。
国家の違憲性不当行為を裁くのが正しい合憲性である。