常識的にロシア相手に戦争するというのはクレイジーだと国と軍隊の規模からは考えられる。
しかし、ウクライナ人はモスクワに支配されたくないから戦争を選ぶ。
しかし、やはりロシアを押し返すことができない。北東部しか取り返せなかった。
大国の覇権主義のたちの悪さは、自国の兵隊が30万人超死亡しても、痛いようで平気なまま水に流すだけ。
その他の物理的兵器の犠牲は痛くも痒くもない。
経済はむしろ快調で、わずかなハイテク部品に困るだけ。
大国を経済封鎖することは不可能。
世論調査はウクライナ人があまりの困難さに戦争をやめたいと態度を変えつつあることを示している。
我慢比べなら大国が絶対優位。
モスクワの恐怖政治を49%受け入れていたら、これ程の犠牲はなかった。
ゼレンスキーが逮捕されたらそれで終わりだった。
今、戦争を選んだことで、ウクライナが間接的にモスクワの恐怖政治の下にある皮肉。
西側が本腰入れて戦時体制で軍需増産体制に完全シフトするかといえば、煮え切らない。
ズルズル泥々の悲惨な戦闘と恐怖の国民生活に終わりが見えない。
よほどモスクワの恐怖政治が懲りているからこそ戦おうとしたのだろうが、もう戦力兵員に無理が明らか。
予想通りの悲惨な事態に、初期段階からウクライナの自治権でモスクワと交渉していれば、こんなに酷いことにはなっていなかったと悔やまれる。
おそらく数十名のアジテートに都合のよい政治家のために、ウクライナ人が犠牲になり続ける。
戦地のロシアウクライナの兵員たちが、それほど楽しく戦闘する間柄ではない親しい間柄であることも、ずっと私がゼレンスキーの大義名分に疑問を抱く根拠だ。
そもそもゼレンスキーはロシア語を喋っていた。
では、ロシアが何をやっても許されるのか?
では、戦争で国土国民を守れたのか?
抑圧そのものの戦時生活しかないのではないか?
逃げることすらできない。
モスクワときちんと交渉してくれと考えるのが妥当ではないか?
もうそろそろNO MORE WAR の世論が克明に浮き上がり、正義の解放抵抗戦争が実際上不可能になりつつある。
ロシアは日本のように徹底的に反戦世論を潰す。
つまり、ウクライナ人世論がこの戦争を終わらせる唯一の力になる。
さもなくばモスクワの恐怖政治下の戦時ウクライナでただただ苦しむしかないし、その苦しみは増大し続ける。
仮に西側が総力をあげてロシア連邦を解体させるために軍事支援を重ねても、もう前線で戦闘する兵員がいないのだ。
武器弾薬に資金を並べてもどうにもならない。
ウクライナ人民が少しの順調さに酒が回っていたことに気が付けば、地に足のついた選択肢が浮かび上がる。
確かにウクライナは順調だった。
NATO入りしようとしなければ、かなりの繁栄が約束されていた。
ロシア軍人兵員もそれほど大量死しなくてよかったのだ。
読み違えを追求する時期にまではまだ至らないが、やがて本当に前線が崩壊して最悪のモスクワ施政下に置かれる時が来るのではないかと、第二次世界大戦直後の米軍と日本を連想してしまう。
そこまで引っ張ると、私の胃に穴があくだろう。
今でも胸が痛くて仕方ないというのに。
ロ中北日が大差ないことをわからなかったからこその読み違えは、故意に見過ごしたとすら言われかねない。
と、ここまで書いた数時間後、フランスのマクロンさんが欧米部隊を派遣する可能性について発言をしたことが報じられた。
私とマクロンさんの状況判断はかなり近いのではないかと少し嬉しくなったことは確かだが、それほど不謹慎に手放しで喜べるような状況でないことは確かだ。