楽器屋さんで、1番高価な選択肢なので、まず贅沢品だという話になるのが、初歩者では当然かなと思う。私など昨年四十代後半でようやく採用してみた。
要するに上達に必要なのかという点と、上質な音質の必要性による点がポイントなのだろうから、その所感。
上達には、ほとんど無関係だ。少し関係あるのは、バイトのマックス感、引っ掛かりの最大値を体感するまでのつなぎ、中継点を体感すること。
良い楽器や弓と同じ。
バイオリンってもっと表現力があるのだ、私の平凡な楽器にはまだまだ表現力が眠っているぞ!と気づくことができる。
そこで廉価な選択肢でも技術を磨くモチベーションがうまれるきっかけになる。
もう1つは美しい音質を買えるという点で、本当はもっと良い楽器や弓や弦やパーツを使いたい人の代替品としての必要性。パーツの良いもの、楽器弓はかなり高価で容易に買いかえることが難しい。これも練習の別のモチベーションになる。しかし公開演奏のためにこそ必要だとも思う。ちなみに発表会は立派な公開演奏だ。プロイコール必要性ではなく、その演奏者の評価そのものに直結するのが公開演奏だから、愛好者攻撃は如何なものかと常々思っている。見栄なら下らないという批判も人間だから時には甘んじて受けるべき謙虚さが必要だが、クラシック音楽の素晴らしい表現の向上のためならば、充分に理解しうるものだと考えられる。
濁らせ、薫らせ、透きとおらせ、クリアに発音することで表現力が増すから、いくつかの物質的な要素と技術力の掛け合わせの1つを大切にできる場合は大切にすればよい。
場合は、状況が人それぞれなので、各人知恵をしぼって実行あるのみ。
つまり高価な選択肢だけでは、上達しないことが多い。
師事の内容と錬磨経験の掛け合わせを楽器一式のDNAは助けるだけ。
本人のDNAは錬磨経験だけでは悪化する。
先生として正しい指導(with愛と情熱)と生徒の資質(with愛と情熱)環境で本人のバイオリン弾きとしての成長とDNAが形成されるのだろうから、楽器一式はできるだけ無理なく程よくととのえたい。
どのDNAも大抵良くなる。
イタリア馬毛が良いことずくめになる人がいて、無駄になる人は原則いない。
無駄になるのは、楽器一式弾かずに放置する場合とダラダラと惰性で取組むその瞬間その時間そのものこそである。
耐久性が高くて、毎日のように2〜3時間は弾いているのに、半年後もガツガツと弦を掴んでいるから多少高価でも、お店ごとの価格設定価格比較によるが、それほど高くない印象。
奏法や技術力を上げてコスト低減をはかっているプロも多いから、その本筋だけは確かに見失ってはいけない。