年月日は忘れたが、記憶に残っている、あの日は、楽器の展示会だった。
演奏側とまったく無関係に、楽器と弓の組合せで音色が決まることを知った日である。とても衝撃的な体験だった。
アマチュアなら発達の余地が大きいから弘法筆を選ばずが成立する。しかしプロとセミプロあたりはみなさん筆を選ぶ。使えるとか使えないという表現をして選別する。
良い音楽の条件は、よい楽曲、よい演奏者、よい楽器、よいホールが主なもの。
広く見れば、よりよい国や地域、よい聴衆、よい季節、よいタイミングなども条件だろう。
音楽そのものの歴史と楽器の歴史はリンクしているから、ある時期からはストラディバリウスを想定して作曲されたものが増えてくる。そうでなくとも良い楽器、名器を想定している。
よく響き、美しい音色を出すものは、精巧に作られていて、時代を経てもその価値は高まるばかりである。
しかし趣味でバイオリンをやる場合に気を付けたいことがある。
演奏家が使用しない楽器のほとんどが、響きがおかしいもので、中途半端に響く。
しかし曲がよくて演奏者がよいとそれらの楽器でそこそこ美しい音色を出すことができる。
基礎練習や練習曲、たとえばクロイツェルやローデとかモーツアルトの協奏曲とかを弾くことは十分に可能である。
響きがおかしいものは、その楽器に慣れてきたとき、演奏者の波長がだんだん狂うことになる。
いくら上手く弾けても、そのうち演奏者が調子を崩したらなんにもならないのである。
上達し、その楽器を完全に弾きこなすまでの間は、寸法があっていれば、練習にはなんの問題もない。教室の発表会くらい出たって構わない。
ただ規定を満たす演奏をするため、というのが初心者から中級者(多くの音大生も)なので、寸法さえあっていれば、それ以外はあまり問題にならない。
しかし上達したあと、その楽器に慣れたあと、その時期には本格的に一生ものの楽器を探しはじめなければならない。
たくさんの変な響きの楽器や響かない楽器が店頭には溢れかえっている。
演奏家が選ばないものもたくさんある。
若さと勢いがあれば、それはそれほどの問題は露呈しない。
上級の繊細で大胆な表現をしたい人が、実際にローデやパガニーニのカプリスや難曲をまともに弾く程度に進歩したら使えなくなるに過ぎないから、9分9厘一般の趣味人はあまり気にしなくてもよいところでもある。無理して使う学生さんやプロもいることはいるが。
耳が肥えてきて、少しばかり弾けるようになると、そういう9割方の楽器では我慢ならなくなるのが、ノーマルな感覚である。
逆にただの音楽好きらしい全然弾けない人が高級なすごいブランド楽器を所有してショボい演奏をしているのは、なんともチグハグでみっともないと思うのは私だけではあるまい。その人の自由で誰もわざわざ言わないのだが。
楽器はその人の所得や資産とは別に、音楽に対する深い理解や十分な演奏技能訓練とのバランスがもっとも重要であり、その上で予算と相談して決めるのがよいと思う。
不釣り合いな楽器は恥さらしである。
たいていブランドで選ぶと失敗することが多い。ごくごく一部のネームバリューは役に立つが、ほとんどが無意味。
値段で選ぶとさらに失敗が多い。
自分の技量から楽器の良しあしが判断できる段階に応じて、その人にあう楽器の性能があり、その中から予算に応じて選ぶのが正しい選び方になる。いくらでも資産があれば次から次に買いかえる人もいるがやはりそれでは上達しない。
昔はよい楽器がよいに決まっていて、それ以外はないと思っていたが、どうやらよい楽器という定義が多くの場合あまりに主観すぎるし、高い楽器ならよい演奏になるとは限らないというのがミソだろう。むしろ曲と演奏者によるほうが大きい。
練習段階でよりよい楽器を弾いても成長しない人がほとんどである。
良い音楽を基準にすることは、良い教育環境を基準にすることであり、良い生活習慣を基準にすることだから、そこをきちんとした上で、指導者の助言を参考にしながら、腕に見合った楽器選びに努めたいものである。たいていの指導者は楽器の専門家ではないから参考程度だ。結局は本人の問題。
もう8年前になるが、ある著名なビルトゥオーソメンバーの方から自分の音をつくりなさいと言われたことがある。それ以来モノマネやお手本のコピーだけではいけないと思いながら、意識して自分の音ってどんな音だろうと考えながら練習してきた。
最近になって、いろんな曲と楽器を試しながら、もしかしてこれかなと思うようになった。
自分ってこういうヤツかな、という掘り下げや積み重ねが織り成す音色が楽器そのものの音色とはまた別にある。そこが見えてきたら、その時期に一生ものの楽器を選ぶのがいいのかなと思う。
いい出会いがあるように祈るばかりだ。