昨年、創価学会の元会長が亡くなった。タブーと闇のイメージが大方なので、触れたくない話題であり避けられない課題だということでもある。
創価学会が池田のカリスマと人気で会員を増やした時期はかなり昔だ。
もはや3世4世5世の時代で衰退しているが、まだしがみついている会員がいるのは何故か?
なぜ自民党はあそこまでベッタリ蜜月だったのか?
ひとつは冷戦終結と平和な世界という理想主義から夢を見ていたこと。
国連から池田が顕彰されていたこと。
しかし実際上、テロや奇襲攻撃、先進国におけるカルトによる人権侵害が多発してきて、我々の市民生活は危険にさらされている。
夢を見ていただけで、現実に脅威が増大し続けてきた結果の近年の世界情勢がある。
戦略核兵器とアルマゲドンさえ回避すれば、防衛戦争やテロ抑止のための軍事作戦は許容せざるを得ない。
もう1つは、国連主義の内容が人権擁護の名の下にテロリストを育成してきたという事実。真っ向から不都合な矛盾をきたしたことである。
しかし、人間は夢を見たい。
なんとかなると思いたい。
淡い期待は裏切られ続けているというのに、おかしな期待をして犠牲者は増える一方なのだ。
平和主義という理念は結構だが、全体主義国家、独裁国家、覇権主義、過激派、武装テロリストたちを増殖させてよいのか?
人情肌のマフィアが世界中で増殖して、テロ活動が活発化し、戦乱の世を拡大させてきた権利擁護というものに対して厳しい視線が向けられている。
適正な権利擁護、テロや核武装などを抑止できる平和主義へと賢明に転換していく必要があり、人間を過信してカオスを故意にひきおこされては、世の中が悪くなる一方である。
会員も自民党も大衆も、平和主義、国連顕彰など表面的社交辞令に踊らされることなく、現実の脅威と真っ向から戦い続けている真摯な人類愛を行動で示すことができる賢人たちをこそ求めるべきである。
平和のための戦いが戦乱であってほしくはない。
しかし、必ず国家の支援を受けた武装組織が次々と発生することは否定しようがない。
ウクライナの富、ロシアとの大国間バランス、中華思想、テロ支援国家、外縁大国、世界秩序のルールを当然に考えて、カルトの口車に乗せられないように警戒するべきだ。
日蓮正宗の複雑で正確な現実的論理を巧みに悪用して世界を欺いた池田の大罪は計り知れない。
石原慎太郎は池田を悪しき天才、巨大な俗物と評したそうだが、そんな人気者がいかに多くの人生を破壊してきたのか、信者は思わない。
すべての平和のための仏教的知恵(日蓮正宗僧侶による教義の現代的解釈)をカルトのための我田引水、作家個人の私利私欲に曲げて使うとは、恐ろしい身の程知らずであるが、そんな悪い人間はどこの世界にもいるものだ。
池田や創価学会へのデマや捏造に暗殺計画まであれば、正義なのだと言えるか?
必ずしもそうではない。
むしろ創価学会組織としてのデマ捏造、虐待虐殺が事実として無数にあることを看過してはならない。人権を主張する人間が絶対に正義なのだと言うのはあまりにも短絡的に過ぎる。
この記事の結びに池田の言葉を引いておく。
「その人が何を言ったかではない。その人がどう行動したかである。」
組織的に悪事をけしかけ続けてきた池田を信じてトータルよいことなどあろうはずもない。