人の不幸は蜜の味?
世界に絶望するというのは、言い換えると人間に絶望していることだ。
厳しいことを言えば、このシンプルなところを誤魔化すために、世界(社会)に絶望しているかと煽るのである。
勿論れいわの政策には賛同するものが沢山あることは断っておく。
しかし、人間は宗教で変わる。豹変する。価値観も変わるし、嗜好も変わる。
政治で変わると言いたいのは、政党だから当然だけれど、政治を変えるだけの勢力を結集するためには、もっと人間を知り深読みしたらよい。
私は宗教に絶望したうちの1人で、どれほど害毒が深いかをよく知っている。
れいわの支持拡大宣伝対象者が宗教信者と困窮者だけではないものの、意図しているかどうか知らないのだが、どう見てもそう見える。
結集するべきは、どういう人達か?
絶望している人達か?
私は日本人のかなりが絶望しているようで、むしろ虚しい期待と希望を抱いて自公維投票と無投票なのだと思う。
絶望している人達を激励することの意義は尊いが、絶望は状況からではなく心底絶望だから絶望という単語があるのであり、支持は一時的なものに終わる。
明石市長だった泉氏が長期的支持を得ているのは、絶望させないだけの予算と人材を長期的につけたからであるが、一政党では規模も人材もかなり厳しいから難しい。
公金、公的サービスをあてにできないことも自明だ。
だから、淡い期待を裏切られ続けている人達を無理なく助け合う組織づくりが大切になる。
選挙、集会にお金をかけずにマイク一本で決死の政治活動ができる覚悟の人材を探すしかない。
立候補して何かを棄てるわけだから、人材はそうそういない。
そして、子育てと障害者を直接支援できるだけの強くて優しい支持者組織かどうか?
党代表も障害者や精神錯乱者には冷たい気がするから、支持者組織にも難しいことが多いことは想像に難くない。
世界に、人間に絶望して、れいわの政治家や支持者組織で絶望してさらに絶望を深めるパターンでは、れいわの政治家は増えなくなる。
れいわの政治家や支持者の人間性を一つ一つ成長させていくという1番厄介で難しいことを意識してもらえると面白い。
しかし人間性という言葉が多面的だから、どうしても子育てと障害者に優しい行動力ある支援ができる人かどうか見るしかない。
あるユーチューバーが維新も良いこと言ってますよと支持を呼び掛けていたが、良いこと言うだけなら維新と同じことになる。
政権や議員の権限の以前に優しい行動力ある人間かどうかで勝負できなければ、ああまた口だけか、人の不幸につけこんでカネで人間を釣ろうなんて、なんてヒドイ奴らだと相成り申すこと請け合いである。
ぜひ、地域の子育て支援ができる人は支援し、障害者の手助けができる人は手助けを積極的にしていただきたい。
知的障害はイヤだとか、精神錯乱者は怖いとか、ただの勉強不足。
愛のない支持者や候補者がカネ、カネと言っても、世間の人たちはドン引きすると思う。
その反対に愛と人間性を本気で示しながら、政治活動に参加するならば、どれほど素晴らしい社会人かと尊敬されることは間違いない。
是非日本人(日本国領土内の人間)は、信じるに足る正味の希望をもって政治参加していただきたい。
弱者支援、政党支援、投票、進言、寄付、集会参加など、時節柄大変な中本当に並大抵でなく大変だろうとは思いながら、人として後悔のない豊かな心の人生を送って頂きたいと願っている。
誠心誠意の真剣さから深い喜びに満ちた人生へ。
絶望より感謝に満ちた弱者への奉仕が良いに決まっている。
私は日本の政治には参加できない事情があるが、みなさんの状況の好転を祈っていて、それはやはり回り回って自分と無関係ではないからこそでもあって本心からである。
大多数の洗脳されている日本人の意識が変わるように。