簿記、予算、投資、貯蓄と公私に渡る数字に関わる各計量経済学。
私は行列嫌いで計量経済学を意図的に避けた。
ただ、どうしてもマクロ経済学は避けられずに、数式を概算する練習演習は単位のためにやった。
つまり高度な細部の計量は、企業会計簿記や税理士や公認会計士の専門なので、ほぼまったくやらなかったが、むしろ統計学、政治学、経済政策などからマクロのカンはあるのだ。
数字で検証して正誤を見極める考え方は当然可能だ。
しかし、問題はなにを誰のために煮詰めて検証するのかという哲学や人道性、倫理基準のほうにあり、そこを国民のコンセンサスとしてある程度方向付けることが重要になってくる。
政経学部・経済学部が1番無駄な学部ではないかという見方は、そこが欠落したまま数字に詳しくてもなんにもならないからだ。
節税テクニックや補助金の流用目的に勉強しても、当然に悪徳政治家と同じだから、本当は私利私欲のためには無駄なのは社会正義の観点から無駄だと言える。
日本人は世の中をよくしようなんて変わり者扱いで、社会正義ほど悪いものはないと信じているフシがある。
人に優しい政治家・政治などというものは、まやかしであって、ブームにのせられても何も良いことなどないと。
諦観も過ぎたるは及ばざるが如しと日本人たちが開目すればよいのだが、よりよい未来を作るための政治家は居ない。
いくら開目しても、力でねじ伏せて悪に染まるように仕向ける日本文化。
底なし沼蟻地獄のままで、計量経済学や統計学はホロコースト記録簿にしかならない。
人倫、人間の善性をこそ規範に据えるならば、計量経済学が役に立つが、卒業生たちにそんな常識を認めるのはレア過ぎる。
悪意の国、地獄谷日本。
救いがたい。