カトリックの病院内の教会ミサのオルガンにあわせてバイオリン演奏をさせていただく機会に恵まれました。
曲は賛美歌の間にパラディスシチリアーノ、神父さんの祝福の間にエルガー愛の挨拶。
神父さんからはにこやかに「音楽は祈りを助ける」ととても感謝され、又助祭神父さん?からは「ゴッドブレス」と最大限の賛辞をして頂き、オルガニストは心がある演奏と評価してくださり、私にとっては穏やかに満たされた素敵な一時になりました。
みんな自由にそれぞれを尊重して機会均等を実現するべく不断の努力を続けているからこそ、このような機会があったわけです。実はある看護師さんがオルガニストの方を紹介くださった経緯がありました。そういうフランクな感覚から、ユーチューブにあげている自由なようで東京的な窮屈にせかせかした不自然なリズム感は影を潜めて大仰でもなく自画自賛でもない良い演奏ができました。(不思議なほど良いと思える時はいつも決まって非公開で録音がありません)
小さなミスは問題ではありません。
ただ丁寧に心をこめてミサの趣旨(祝福)を妨げないように美しく弾こうとつとめただけでした。
時間や規則や予算などで人間を窮屈に締め上げるだけではできない音楽の素晴らしさは、やはりヨーロッパカトリック文化の自由から来ていました。
プロテスタントだと堕落気味に自由がどこか締まらない感じが粗めに目立つことが多くて、宗派による違いはおそらく否定できないものがあるわけです。
日蓮が宗派を予言していて、実際その違いを感じ取ると、知識として詳しくはありませんがキリスト教世界でも同じく違いはあることがわかります。
幼児期のカトリックミサや聖書の逸話のたくさんの絵本が人生の最初にあったのは、とても幸せだったと再認識しています。
今日は、福岡県で帰天なさったパリ宣教師会のクロード・バスチ神父さんと再び会えたような幼稚園児に戻ったような気持ちになって、懐かしくも幸せな一時を過ごすことができました。
心ある演奏というのが日本人にはピンと来ないのはとても残念です。
綺麗な技術、正確な音程も大切ですが、心ないそつのない無難な演奏が多く、実は客観的にバレバレなのです。
パッションをいかに美しくのせるか、そんな素晴らしい音楽が日本(日本人)にも広く広まって欲しいと思いました。
メモ
教会オルガンA=437