日本人の通説では、クラシック音楽はキリスト教のもので、そこにはキリストの教えが含まれるから要注意あるいはやってはいけないものとされている。
もう21世紀なのだが、信じられないことにまだそう教えていてそれを信じるしかない子供や情報弱者がいるのだが、意図的にミスリードしている宗教が多い。
ミサ曲を作曲したからといってカトリック信者とは限らない。
ユダヤ人の著名なバイオリニストはたくさんいるが、カトリックの作曲家の曲もプロテスタントの作曲家の曲もなく演奏し、ユダヤ音楽も弾くし、東京ではアンコールに日本民謡だって弾く。
中東やアフリカの演奏家だっているし、そこには宗教的差別はないようにしか見えない。
バイオリンの技術の最高峰はロシア式だからバイオリニストがロシア正教会だというのもありえない。
民族や宗教に国境もないのだから、見当違いも甚だしい。
世界一のヤッシャハイフェッツがユダヤ人だからユダヤ教が優れているという判断間違いに陥ることもない。(日蓮も個人の優秀さと宗教の優秀さを間違えるなと言っている)
音楽は人間固有の豊かな文化であり、人間に生まれてきたあらゆる感情を満喫する。
邪悪な人たちは音楽を敵視し、人間をやめて奴隷になれと教える。
人生も富も余暇も親族もなにもかも差し出し貢いで悟りを得よと教える。
そのためには音楽が邪魔でしかない。
外来種として攻撃し、攻撃させて孤立させて殺してしまえばよいと考える。
人間の感情そのものは歴史や世界文学まで見渡してもそれほど変わらないから、無宗教であってもなお、音楽に感動する。
そのそれほど変わらない人間と違う感覚の人間が音楽はキリスト文化だから邪悪だと巷で吹聴するのである。
これはとても恐ろしいことだ。
喜ぶことを喜ばず、悲しいことを悲しまず、人の不幸にマウントする。
表向き音楽を否定している宗教はない。
しかし実際に御寺の収入が減るとなると音楽は贅沢だと話はコロリと変わる。
そこに音楽は邪悪だという邪悪な教義を造るのである。
世界的に見て、音楽鑑賞の機会や演奏家になるための教育機会はまだまだ未整備だが、欧州のいくつもの国では素晴らしい環境がある。
日本の三大都市圏はかろうじて恵まれている。
日本人の偏見は邪悪な宗教から来ているが、どんな人間にも備わる心を大切に、皆さんで音楽を楽しめるように強く念願する。
私利私欲の宗教より皆さんでよい文化を楽しむほうが幸福である。
同時に、一部しか楽しめない音楽は邪悪な宗教と化して危険な面を持っているとも言える。
差別がないこととカネがすべてになることはアジアではありふれた不平等だからである。
宗教に束縛統制されることを嫌う進歩的なフリーメーソンの著名な作曲家たちはおそらく魂の自由と人類の向かうべき理想を形にしたかったのではないかと思えるのだが、それは現在まで私見であり内面的世界としての一理解にとどまる。
新世界秩序となると地域の現場に貧困や予算不足人員減が慢性化して重大な問題や事故が多発しているため、にわかには賛成できない。
音楽は地域のみなさんと共に分かち合う喜びだから、地域を不安定化させる世界統一の動きとUFO談義については、慎重に対応しなければならないと思う。
フリーメーソンはもともとは弱者に手当てする考えなのだが、特に日本アジアの実際の現場では悲惨な状態にあることを深刻に受け止めながら、エリートとして音楽とみなさんの幸福のために具体的な貢献を考えるべきだと思う。