昔も今も、音楽でみんな癒されて楽しく鑑賞している。
素晴らしい。
その音色が多彩で美しいから、演奏者の心も美しいのだろうと錯覚する。
あまり嬉しくはないが、美しい音はどんな人でも造ることができる。
人を騙そう欺こう儲けよう有名になろうよく見せようという邪な心はありふれている。
邪なといっても仕事は成功させたいのが人情だから全部問題なわけではない。
コミュニティで他者とうまく折り合いうまくやるために音楽表現を緩衝材として使う人は多い。
演奏者は演奏者としての寿命を延ばすために演奏する。
それを美しいと感じるかどうかというところは、地位が高ければ寿命が長くなるのはあたりまえだから、カネがあれば美しいというレベルの美しさというものもまた美しいので、そこは主観になる。
人類の音楽史が変質している。
もはや美しい心の演奏家なんてあり得ない。
技術の完璧さを求められる学生と演奏家という流れ上、心はどうしても片寄る。
がんじがらめの窮屈な面白みにかけた演奏者心理を、聴き手は考えないほうが幸せだし、そこを覚らせないように演奏する技術も美しい心のうちだ。
ハードなソフトとしての演奏家の心は決していつも美しくも幸せでもない。
最近思うのはバイオリンなんて馬鹿でも弾ける。
いやむしろ馬鹿でなければ弾けない。
少し賢ければ最初から手に取らない。