よく、記事や人の話で、どういうことを口にする人は幸福度が低いと言う。
仏教系もキリスト教系もそれは知恵だと教えてきた。
しかしそれは古代から移住、移動、転職、離婚などの社会構造がガチガチでなんの自由もなかった頃の話である。
今は、幸福度が低い人達に選択の余地のある状況であることが多い。
つまり、幸福度を上げるためのヒントをどこかで覚知しているから、口癖なのである。
裏を返せば、転機が訪れている。
見切りをつける時はすでに来たのである。
それぞれが訪れている機会を掴むことが大切だ。
かつての美徳を吹聴する人は、人々をなにかに縛り付けておきたい。
安い労働力は逃がしたくない。
一味の繁栄、カルトも親族もない人間は目下の都合のよい駒は持っておきたい。
そのために忍耐を強いたい。
だからこそ、昔の道徳心みたいなことを言う。
これは、まず信仰と道徳心を会得してから、判断能力がついてから判断する話で、信仰や知恵を放棄して好き放題するという勧めではない。
まずは基礎的なところを学んでから、あとは好きにすればよい。
基礎は教会や寺院を外しては身に付かない。わかったつもりでは、判断基準が甘くなる。
口癖はとても大切な呪いにもなり、転機を気付かせるサインにもなる。
決して自然に浮かぶ言葉を否定してはならない。
極論、なんでも前向きなのは自殺行為と一致するからだ。
消極的なのも人間らしく生きるためのひとつのアラームである。