正解ではない。
しかし完全な不正解とも言い切れない。
パレスチナのハマスを全滅させなければ安心できないほど、イスラエルは追い詰められていた。
アメリカに亡命しても民族主義政府が消失するのは嫌なのだろうが、傍からはアメリカの実権を持つ勢力に変わりないからアメリカに好条件で移住すればよいとも思う。しかしながら当事者がイスラエルを保持したいだけでなく、キリスト教世界がみんな認めるからには、どうしようもない。
パレスチナは良い口実をイスラエルに与え、イスラエルは好機と侵攻した。
少しでも安心したい。
この安心がみんな違ってそれぞれ他者を犠牲にしてでも安心したいらしいが動物全般的習性を批判だけしていても仕方ない。
人間の営みの一部か?おぞましい争いに終結はなさそうだ。
古代から進化することが、協議の場でイスラエルを認めさせることなのか、イスラエルを消滅させることなのか、意見が別れる。
とりあえずパレスチナ自治区を消滅させ移住させるほうが現実的だが、それが解決になるかどうか?逆も解決にならない。
積年の悪循環で共存共栄も難しい。
宗教を別にすれば、ほんとうはエリア的に有害で人間が住めない土地としてみんなで去るという選択肢があるのだが、なぜそこまであんなところに住みたいのか?
客観的に理解できない。
そんなに戦火が好きなのか?
ウクライナ周辺も積年似たような印象だが、あの辺りは豊穣の大地、資源も文化も豊かなのでまだ権益獲得への執念には理解の仕様がある。
みんなが大河のほとりへ移住して宗教の拘りを1度脇へ置いてあんな砂くらいしかないところは捨てればよい。
まだ住みよい第二のイスラエル建国の話は聞いたことがないが、そのほうがよいし、ユダヤ人が民族主義が根深いのにも感心しない。
イスラエルだけ特別という世界観が世界から認められるとも思えない。
平和に安心して繁栄する道を模索してほしい。
パレスチナへの報復は戦車やミサイルでなくてもより強力な方法があるのではないかと思う。
そのためにも一旦大移住が妙案に思える。
無宗教的な珍論である。
一方でこのように見ることも可能だ。
この問題で共存共栄はなさそうだと割り切るならば、ガザ侵攻、ガザ殲滅はひとつの正義である。
予告も勧告もしている。
世界を敵にしてでもイスラエルを攻撃するハマス、平和主義とイスラムなどを敵にしてでもガザ殲滅を狙う戦略的イスラエル。
イスラエル建国を否定するのであれば、理解できるが、建国はすでになされ、半世紀をこえた。
ヨルダン川西岸も最終段階では徹底的に攻撃する戦略的国策でいくしかないのではないか?
せっかくアメリカと世界が流浪のユダヤ人を受け入れパレスチナ難民に支援してきたのだが。
均衡点や落とし所は、イスラエル建国のとおりのパレスチナ国境線まで戦闘をすることでしかないのかも知れない。
人類の英知としてのイスラエル(パレスチナ)と見ることができるか、ユダヤ人に安穏の地をどこまで認めるか、難しいながらも、争いはまだ続く。
共存共栄の条件は、停戦交渉や協議が安定的恒常的なものであること。
それができないのに、共存共栄というのは、少しおかしい。
日本の同和地区や長屋文化で、相手が自分の物を黙って持っていく、後ろから襲ってくるのに、協議交渉が成立するか?
それがロケット弾や人質殺害なのだから、平和主義の実現のための最終手段ではあるけれども、解決と平和のための最善の方策がいち早く自治区を殲滅することであるという論理は成立する。
パレスチナ難民支援の国際的枠組みもあり、避難を呼び掛け、軍事行動の予告広告まで行っている。
自治区が絶対であるという主張を政治的に打破し殲滅するために子供も殺害することが正義となり、自治区は絶対ではないと理解した人達は難民となって幸福になりゆく余地を持つ。
どちらに希望があるのか?
イスラエル民族主義やユダヤ教純血を絶対視して戦争を擁護するのではない。
歴史的にイスラエル建国とユダヤ人の存在とパレスチナの間にある紛争に宗教が無縁であるとは誰も言えないからこそ、紛争終結のための最短コースとして自治区排除殲滅という最終必要手段が履行されただけであろう。
今この地域について、平和や戦争反対を訴えることは美辞麗句に過ぎない。
誰もが平和を望んでいるのであれば、紛争にはならない。
誰もが認めているのは、宗教間紛争と政治的な軍事衝突の歴史的事実だ。
私は自治区で生まれた人達には心底気の毒だと思うが、歴史的経緯と今後将来と世界中での受け入れを考えて建国国境線だけは認めるほうが賢明だと思う。(ユダヤ人入植段階で戦争も予定通りだから)
平和と融和を信じる人達が犠牲になり続けるのは、いたたまれない。
平和主義と言いながら、犠牲者を増やしている。ハマスは平和主義や停戦の間隙を突いている。国連採択と入植を違法とすれば停戦もなくユダヤ人殲滅まで戦争を前提に攻撃し続ける。
ドイツがイスラエルを擁護するのは問題だと批判されているが、平和に対話はできていただろうか?
居住権は誰が担保したか?
誰を信じて居住していたのか?
例えばイスラム教徒を全滅させるという主張ならば問題視できるが、自治区出身住民が犠牲にならないように手を尽くしたうえでのハマスとの戦闘には問題ないと言える。
そこに巻き込まれた市民たちはハマスを信じたために落命する。
統治内容に問題がある場合に、そのままその地にとどまれば、危険極まりない。
生まれる地で生涯過ごせる人達は案外少ない。
理想はあってもよいが、そのために死ぬか生きるか選ぶのは一家個人個人である。
すでにイスラエルに自治区がある時点で、自治区政府は無責任だ。
88年以来問題があるものを問題ないと主張する彼らは、住民の安全など知らない。住民が死亡しても問題ないと主張し、イスラエルの責任だと主張する。
建国と国際社会を否定して逆建国しているのが近年の自治区だ。
近年の平和主義によれば、多くのユダヤ人を犠牲にしても問題なく、ハマス等のロケット弾攻撃にも問題なく、非人道的捕虜処遇にも問題がないということになる。
事実、その犠牲者たちを考えると、平和のために為すべきことは、まず建国国境線を遵守することである。
それが理解できない人間が平和主義などと安易に口にするべきではない。
罪のない人達を平和主義の美名でたぼらかして生け贄にし、それで正義面するなんてそれこそ非人道的で人倫にもとるのではないか?
完全停戦、終戦はイスラエル(ユダヤ人のパレスチナ)を認めるかどうかだけのことである。
イスラムの聖地を認めないというのではない。宗教と平和、聖地と生存は必ずしも一致しない。
聖地を衝突や戦争の地にしてはならない。
聖地は必ずしも所有しなくても協議できれば問題ない。
いちおうの人間や宗教共同体を認めるならば、イスラエルに攻撃を仕掛けることはないはずだ。
イスラエルからは攻撃しない。
なしくずしにユダヤ人共同体を殲滅するために、ユダヤをいたずらに攻撃して強い反撃があれども致し方ない。
平和主義なんてインチキである。
平和になることが第一であって、気取った平和主義では平和なんてどこにもないのである。
愚かしいジャーナリズムや流行りの学者に騙されないようにと強く希求する。
イスラムが建設的に協議せずに身勝手に聖地を占領したいのであれば、これからも犠牲者を増やすだけだ。
イスラムの教えは実際上犠牲を増やすためのものとして機能している。
ガザの完全制圧とヨルダン川西岸の一部を完全統治するまで、徹底的に戦闘を継続し、国際社会はそれを支援するべきだ。
ただ到達するべき平和のために。