快楽音楽を忌避するか?しないか?
快楽を完全に忌避する人はいない。ただ人によって快楽にかける時間や熱意が異なる。なぜなら、個人個人が最優先にしている快楽の質が異なるからだ。現代は世界基準が普及しているから、そんなものは人類共通だと思っているならば、かえってより選別的個性的な快楽主義の時代でもあると私は思う。
心地良い耳触りのよいエレキバイオリンでお酒を楽しむ。それは音楽の中では、消費快楽として見るべきで、無個性で動物的なものだ。
私はクラシック音楽を最優先にしているが、個性的で人間的だからだ。楽しむ比重がまったく人それぞれ異なる。日替わりな問題。
大人になると人の話をうるさく感じるという人生を損する一群がいる。私は自分を馬鹿だと主張するためには、人の話を聴かなければよいと思う。私利私欲でよい。
楽しまないことこそ馬鹿だと話がすり替えられる。
何を楽しんでいるか?がその人の価値でもある。
教育的、示唆的、建設的、構築的、構造的な音楽は完全に楽しい。
快楽主義は悪魔への協力だが、快楽も完全なら神の侍者となる。
つまり快楽音楽は極めよという結論になる。
そのためには、毎日ひたすら各種練習(設計建設構築維持)しかない。