FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

鉄道軌道・連結器・江戸間京間

日本の近代化に大きな鉄道の好きな人たちは、よく軌道の違いや連結器まで細かくよく知っている。おおまかだが軌道が大きな方がなぜか淘汰され、狭いほうへ統一されていく。

江戸間が狭いのと、どういう関係があるのかわからないのだが、明らかなことは、江戸時代から特に商業が発達して日本は規格を小さめに小さめにしたことだ。

江戸時代の日本の都市は、江戸、大坂、名古屋、仙台、石川、京都と世界的な大都市が並び、なぜか江戸を首都にしてしまっただけでなく東京へ引き継がれたのは、その狭い規格。

京間を標準基準にすれば、鉄道も欧米諸国に並んだかといえば、そう簡単でもないだろうが、大艦巨砲主義ワシントン条約を考えるとあながち日本の規格にまったく影響がなかったとも思えない。

専門家でもない私は、無知を晒したくはないが、日本は狭いからというのが慣用句になっていて、また東京は楽器の騒音や生活騒音に過敏症的反応が多いから、そこに科学的根拠からくる指摘や改善が可能だと見ることができることに気が付く。

文章が少し複雑なので、もう少しわかりやすく書く。

日本は狭いから、この慣用句は意図的に国民を洗脳搾取するためのウソである。

家を建てるのに京間を採用しないなんて、可怪しい。

広いほうがよいに決まっている。

富岡製糸工場の住環境や丁稚女中部屋が狭くてよいという、賃金格差として江戸間設計を使うに過ぎない。

だから、鉄道で日本だけ変な規格ばかりになるし、バラバラになるし、安全のためと言いながら其の実はまったく別の理由なのである。

個人主義ではなくて、自己責任主義であり、自由がない。

鉄道も建築も住環境も格差を最大化するために規格を最小化する。

低賃金規格と大艦巨砲主義は真逆で破綻破滅する。

私がブログで話題を替えて記事にしているのは、その真逆をやめて、高賃金人材豊穣主義へと転換することである。

ヒョロヒョロで小さなオニギリやパンを狭い部屋で食べてスマホゲームをやっていて、きちんとした国民にはならない。電車もギュウギュウでもはや安全に運行することもできなくなりつつあり、日本は狭いからと言えば、なぜか責任不問。

日本の国土地理は狭くない。平野も丘陵も充分にある。

だから大正時代に連結器を全部交換したように、軌道を全部交換したらよいと思う。統一するために、現代技術を活用すればできるだろう。

悪い人に案内され、悪質な行政の影響で、一晩だけならなんとか眠るだけはできるドヤという安宿へ泊まったことがある。

あそこまでいけば、江戸間京間の違いのレベルではない。

まさに丁稚女中部屋よりどうなのか、畳一畳半しかない。

そういう非人道的なものを日本の伝統文化とか世界基準として保存している異常性を日本人はきちんと考える必要がある。

夜行列車も一晩ならなんとかと利用するし、キャンピングカーは軽バージョンなど無理なものもある。

所変われば品変わる。郷に入っては郷に従え。触らぬ神に祟りなし。

そこを科学的に見て考えると、悪鬼神をひっぱたいて郷の規格と品を変えて、国民生活を健全化するほうへ舵を切るべきだ。

万博の意味なんてそういうものではなかろうか?

そういうところはまったくやらずに利権のために万博なんかやるなと民意は語っている。

ボンクラな公明党神道以下のへつらい耶蘇には民意は聞こえない。

耳順もなければ理解力もない。

日本の量販店や格安スーパーの薄くてすぐに破れるティッシュと高級ティッシュの格差。

欧米諸国の2回思い切り鼻をかめる標準ティッシュ

この30年で本当に日本が嫌になった理由が多すぎる。