街頭演説で個人の声を聴いて応答して30分程度かけるのは、それほど多くないが決して少なくもない。
しかしそれは山本としては手柄と宣伝にもなり、見せしめとしてアピールすることで人気を高めることができる。
意図があろうがなかろうが、その効果があることくらいは判って応答しているのだから、そこのところは確かに新興宗教や宗教家の手練手管と一致している。
宗教なのかと言えばまったくの政治家であり、よく似ているのは共産党である。
宗教が原因で困難さや不幸が満ち溢れているから、宗教をいったん否定して我が党のご支持をと呼び掛ける。
政党支持者たちはあたかも科学的宗教の信者である。
その構図は勘などではなく、まったく宗教そのものにしか見えない。
政党や国政には宗教性が含まれており、それは倫理観と密接なので、いくら宗教を否定しても本来は否定できない。
しかし、現代社会の政治的瑕疵、過誤の類いは、敵対する宗教を排除否定することが主たる原因である。
政治における宗教的倫理の相剋を調整する人道性があれば、自殺や行政権濫用や戦争や冤罪、不正不当はかなり抑止されるが、もはや日本の政府政権にはそういう良識が作用しなくなりつつある。
今に始まったことでもないが、そこから政治不信が起こり、それらは事実に基づいており、みなさんの人間不信にいたるのは時間の問題となっている。
悪い宗教がはびこり、悪い宗教家が政治と癒着してやりたい放題になってからこのかた1200年以上になろうか。
日本国憲法はその悪習を改善する重要な日本東洋の宝である。
アメリカユダヤ帝国主義とかコマーシャリズムとか、日本政府がやっていることは帝国憲法復活、悪臭のする日本の伝統的な不正と専制国家のためにすることのみとなり、国民はまっとうな判断能力を喪失している。
山本太郎議員代表という人間は宗教家に見えたり信用できなかったりするのも、かなり日本人がおかしくなってきているからだ。
非常識なこともやり発言することもあったが、あまりにもノーマルなことが浮いて見えたりツボにギャフンと言わされたりというのが真実だ。
地域社会で他人をただ全員疑うことだけで治安維持をはかる神道ユダヤ政治に悩乱して慣れない教育勅語を口走りだした多くの日本人の末期は近い。
一つずつでもよいから、山本太郎、大石あき子たちの政治的な話を理解するべきだ。
知能指数があれば理解くらいできる。
心を穏やかに賢く判断して、人口増加やGDP実質賃金上昇路線を選択すればよい。
ひとつの商品の需給を理解できれば、国全体の無数のサービス商品の需給も理解できる。
アメリカのインフレは大したことはなかった。
あれだけ過剰な程、給付金をばらまいても賃金上昇が伴って、それほど切迫している人はおらず困窮者は最小化されている。
反社会的勢力のマスコミは「アメリカ人が旅行に行けなくなったのは給付金とインフレのせいだ」と報道するし、そのほうが日本人を多く殺せて安い賃金で使えるからこそそうするのである。
経済の学問というのは、ひとつにはそこを見抜くためにあり、目敏い大人なら小学校卒とか丁稚あがりでもわかることだ。
現代の日本人たちがどれだけ悩乱し正気を失っているのか、そこからも理解できる。
政治的にも法的にも経済的にも音楽的にも、ほとんど全員の日本人たちは異常だという自覚をまず持たねばならない。