FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

It's my pleasure. バイオリンのよさ

まず、バイオリンは安価になった。

信じられないという人が多いのは日本やユダヤ華僑のスリコミにやられている。

子供用はセットでも10万円しない良品が量産技術の飛躍的進化で実現している。

フルサイズの実用性、ソロや室内楽での使用に耐えるものですら、30万円あれば本体の精度の程よいものがあった。ドイツと中国に狙い目のメーカーが散在している。近年は円安で40万円あれば精度には問題ないものを選択できる。

次に、クラシックを教材にするけれども、どんなジャンルにでも応用する余地がある。今日は幸いにギター、キーボード、太鼓と合わせる機会を頂き、毎度のことながら即興的な演奏で皆様に喜んで頂いた。

主導のセラピスト兼ギタリストが優秀なので、私はかなり助けられたが、それなりには雰囲気を明るくしたり、リズミカルに人を惹き込む技術くらいなら私にも平均的にある。

高音の華やかさ、透明感、中低音の香り、刻みや変則的リズムなどで国籍言語性別年齢不問に楽しめる。昔、弟と妹が傍らで眠っていたように、今日もむずかっていたヨチヨチ歩きの可愛い巻き毛の子が演奏が終わる頃にはスヤスヤと眠っていた。

その国その国の作曲家がいるから、ロケーションによる選曲で敬意を表することもできるし、その場に応じたアレンジも簡素化すれば自在に近い。

いつどこで覚えたのかわからない技術を組み合わせて、クラシックバイオリンを技術規準に、世界中どこでもどんな音楽でも合わせてみようという気概というか欲求も妄想上はないではない。

バイオリンだからこそかもしれない。

教室の保護者と生徒は実技審査と面接などでお会いできたそうだが、私は小林武史先生にはお会いする機会がなかった代わりに「バイオリン1挺、世界独り歩き」なる本を読ませて頂いていた時に感じた先生の気概のうちのほんの少しの部分は頂いていたのかもしれない。

勿論、人間がいて、人間が人間として生きようとするからこそ成立しているものを、あたりまえとか自分の才能などと思い上がることは断じて許されない。

純粋に楽しめる人間がいてこそ、音楽は成立する。

その楽しみこそ、私の楽しみであり、It's Great my pleasure ! なのだ。

子どもたちの瞳の輝きを見ると疲れを忘れる。

おそらくそれを最初に感じたのは、小学生の頃、公民館のクリスマス会かなにかだったような気がする。

会によって、楽しみかたの質感が異なるところもあるような気がする。

そして世界中共通のものもあるように思う。

カダフィ大佐フセイン大統領はたまたISなどテロ国家組織から狙われた可能性があるかも知れない有名なバイオリニストなどは大変だろうけれど、普通に欧米諸国ではあまり危険なこともそれほどなく、困窮者にも難民にもあらゆる弱者にも、丁寧な真心をもって希望と微力を分かち合う喜びは、人間に生まれて来て至高の喜びとしか言い様がない。

連合軍が戦場をスターや実力派バイオリニストに慰問演奏させていたのは、音楽の力が一体何なのか?示して余りある。

心からの知慧をもって実力を発揮する文化レベルの素晴らしさを支持していきたい。

音楽パフォーマンスは軟弱な人間には絶対にまっとうできない。すぐに横道にそれるからだいたい薬物に走るかなにか。

詳説はしないが、あと私の余命はおそらく1年半から2年ない可能性が高く、その最期の日々を名器とともに送れる幸福に、奇跡と神秘を見出すしかない。