日本文化は時間、金を1番にする価値観かも知れない。
時は金なりというのは、東西ともに言うのだが、その内容はかなり違うようだ。
時間通りを優先する場合、貧乏人や難しい人を拒否して排除するためにこそ時は金なりと時間、期限、期日を最優先にする。
むごい。
欧州文化は時間を後にしてでも、予定を遅延してでも、一人一人の心や都合を最優先にする。
ホームレスがいるのは、人の心を最優先にした結果だとしてそれは悪いことだという批判がある。
日本文化の排除の結果のホームレスよりは、はるかにマシな可愛げのあるホームレスで、ホームレスから抜け出すのも本人の心と都合を聴き取ることで実現する。
説明能力の問題からホームレスになったままであるケースが多い。
めんどくさい人を排除してホームレスになったままである場合は精神病院送りにされてはかなわないと、まず抜け出す機会がないし、よほどの意思疎通のための配慮、専門人材が手厚く支援しなければならない。
つまりホームレスの数は少ないほうがよいが、数そのもので測れないものが重要なのだと言える。
日本人はもっと心と都合を大切にするべきだ。
一人一人を確実に助けるのが最も合理的であり、時間と細則を守るために人の心と都合を無視するからこそ日本の生産性は最低なのである。
一人一人に価値があるからこそ、またその価値観を自然と体で覚えているからこそ、合理的にできるからこそ、生産性が高いのであり、厄介者ははやく死んでしまえとか人を助けるなんて信じられないとか、めんどくさい人を殺すのが合理的生産性だとか、その程度の犬やネコより悪い馬鹿げた日本人文化は下衆未満に過ぎない。
人一人を助けるために最大限時間をかけて、できるだけ正確丁寧に心を汲み話を聴き取る。
期日なんて、変更する遅延するべきものなのだ。定刻通りなんて、個人の心や都合を踏みにじった結果であり、むしろ害悪害毒有害なことのほうが多い。
誰も怠けたりサボったりしていない。
むしろ、めんどくさいことを面倒がらずに取り組んだ結果の遅延は称賛に値することを彼らはよく理解していて、社会規範として公認されるれっきとした文化である。
日蓮正宗の教えには、時の重要性と心の重要性ともに詳説されているものを、のちの人たちが教えから逸脱して非道な時間最優先の日本文化として定着してしまっているのは誠にもって遺憾の極みだと言うことができる。
そうはいっても、目安の時間はどうしても必要な設定だ。
目的は人間の幸福だからこその柔軟な時間設定だと理解できればよいが。。。