差別は悪いことだと教わる。
しかし差別は日常の生命活動であり知的活動であり文化宗教的活動でもある。
では、なぜ差別があって容認されるかといえば、合理性があると判断する立場があるからだ。
立場上、部署としての合理性の1番身近なものが、親として、兄弟として、指導者として、管理者としてなどで、法律は違っても同じ立場上の合理性を判断する。
だから当然に本人の意向と反目して調整を要するが、そこがうまくいかない。
立場は役職や専門性で決まるようでまったくそうではなくて、国や地域に文化宗教の強制性を伴うことが多くて、問題はそこにあることが明らかだ。
にもかかわらず、日本人だから、神道だから、アジア人だから、常識だからと合理性のない差別が横行する。
国や組織的合理性と個人の尊厳や幸福追求合理性が喧嘩する。
日本人には、それが見えない。
国家神道は個人の尊厳や幸福追求を過剰に制限し続けている。
公務員と有資格者ですら権利侵害を日常的にやるし、暴力的職権濫用や暴言ばかりで危険なので、かえって日本では身分階級差別が合理的とされて上下関係や絶対的家父長制が腐臭をふりまく。
高位の旦那といえば信用があるわけではないが、少なくとも職業差別は当然であり、ましてや歴史的身分差別も当然すぎるものなのである。
もし、日本人が個人の尊厳を重んじる民族宗教的な進化を遂げていれば、国中で差別は解消されていただろうが、国家神道を優先した結果としてまったくそうはならなかった。
低劣で野卑な大衆迎合のユダヤ神道による新自由主義でその残虐性はさらに深まりつつある。
なにをやっても宗教的人間的な進化がない以上は失敗し衰退する。
めちゃくちゃな人道的無秩序を平等性だと開き直り洗脳する日本人。
救いようのないバカである。
日本のあらゆる宗教は神道のもとのカルト集団であり、人間的幸福とは無縁の日本人虐殺文化を奉ずる狂人の祈りを深めている。
かくして日本人全体は世界から信用されない。
1%未満の日本人だけが資力だけで相手にされ、ほとんどただのお客さんである。
残念ながら日本人文化を見ていて黄色人種差別にも一定の合理性がある。
お客さんの支払い能力だけが信用対象であるし、人権という眼鏡を持たない国家政府の信用レベルは低い。
欧米の人間は人間であり、日本人は日本人というスタンスでは、日本人差別をしてくれと言っているのと同じだ。
東洋の妖怪化け物に対してなんて金塊以外興味が湧かず、東洋人なら人体実験にちょうどよいとなる。
全知全能の神に感謝する。
神のもとの平等に反目して日本固有の価値観とやらを国民に強制強要する。
仏の教えに反目してユダヤ財閥に媚びへつらって国民生活を窮乏させ自殺や犯罪を推奨する。
残虐で野蛮で不当な民族宗教的政府を先進国のなかできちんと差別する合理的必要性を見出す。