そういえば検察官か裁判官か弁護士にも高祖という人がいた。
ずる賢く権力欲旺盛な家系なのかどうかわからないが、潜伏ならきっと九州の隠れキリシタンが脱藩して江戸市中でひっそりと雇われ人でもやっているイメージだが、どんな為になる話が聴けるのか興味深い。
キリスト教徒だからというだけではなく、視点を柔軟に持つ訓練や視野を広げるためにはよい効果が期待できる。
千代田区麹町、四ツ谷駅そばの教会までアクセスしやすい人が羨ましい。
電車やバス地下鉄の乗換えに苦戦する。
神父と言っても完全な全知全能ではない。
結局は、神を見出し、神と一致するのは、他ならない私の心。
だからとりあえずどちらかといえば学究的な興味深さに偏る。
牧師や神父さんが合理性を欠くような差別をすることも日常的。
むしろ率先垂範で弱者を差別し見せしめにする司令塔になってしまうことも多々ある。
聞こうという漢字は、その心より情勢調査分析に使おうという内容を連想させる。
信仰者を敬うより、いかに利活用するかを優先する。
信仰者は兵士。
死なせても構わないのだろう。
ちょうど国家による戦争の戦死者にほとんど無関心であるように。
傾聴しない神父さんならあまり感心しない。