今すでに最低時給が1500円を超える仕事はあまり影響ないが、時給200円以下の人たちすらいて、不都合が多発する。
経営者も労働者も社会保障で生きる人たちも、みんなが物価高に対応できなくなっていく。
社会保障をまず物価スライドで確保する制度に変えなければ、時給なんて上げられない。
近年のアベノミクス期に官僚たちが物価指数をイジり過ぎている。
物価をまったく反映しない物価スライド計算式を標準化している。
そんな政府の狙いは弱者虐殺だから、時給で物価を上げることは、もっと殺せという煽りである。
金銭は誰にとっても大切なものではない。
金銭で解決できることとできないことのたてわけをしつつ、不足する金銭予算を配分することが当然の順序であり、憲法25条などを満たす優先順位で予算と専門職人員を配置することが肝要になる。
時給を上げるためには、適切な手順を踏むべきだ。
上げるべき対象は、最低時給、職種、勤続経験年数、週間勤務時間、拘束時間、歩合、勤務地、居住地などで変えるから、いきなり最低時給1500円という主張には反発が大きいのも当然だ。
バイトのベースアップは、月々の拘束時間と健康で文化的な最低限度の生活費用を均衡させて時間あたりいくらだからと計算すればよいのだから、地域ごとの生活費や生活スタイルによる生活費、学歴職歴や貯蓄資産まですべて考慮するならば、物価が上がりすぎていることを把握しないように指数を誤魔化して抑制しようとしているのだから、現状では最低月給手取り26万円あたりを目指すのもよいかと思う。
掛け持ちバイトがしたいとか本業とバイト両方したいとか、その場合はあまり課税しないことだ。
がんばった分は多くあげること、冴えない人でも1人26万円は保障してあげること。
少なすぎるなら、勉強させたり、移住させたり、何かしら助言支援できる窓口や専門家が必要なのだから、その利用のしやすさ、情報提供があってもよい。
そしてだからこそ生活保護や年金の支給額をまず月額最低26万円になるような物価計算へ改善しつつ、自立助長のための相談支援制度拡充のための予算人員が第一に必要なのだ。
年金は抑制して当然だとか、生活保護は不正だという主張はそのまま、日本人みんなのムリな頑張りだけでなんとかしようという太平洋戦争中のような状態を温存する。
国体は護るが、国民は護られない。
障害者や生活保護などを攻撃する限りは、日本人がバターン死の行進の当事者となるであろう。
よく社会保障が充実するとまじめに働く人がいなくなるという。
しかしまずはまじめに働くことができる人を増やすことが先決だ。
不真面目な人たちが一定数いるように見えるからこそ、まじめに働く価値はあり、ある時期不真面目に見えてもそれが正しい見方かどうかは他人の浅識ではほぼ断定できない。
国全体、地域全体が繁栄することを第一にするからこそ、個人の幸福や社会保障を第一にするだけである。
私利私欲だけの情けない一部の人たちを基準にして社会保障攻撃をすれば、まっとうな労働者に個人の幸福はなく、その結果国地域の繁栄はありえない。
おカネを先にするのではなく、機会均等の前向きで明るい地域を連帯させて国や地域を繁栄させていく。
そのためには、官僚や政治家に適正な物価の把握ができる必要がある。
粗悪品や贅沢品の仕分けもできないでは、国民にその日暮らしを強要していることに罪悪感すらない。
日本人は、それぞれがそれぞれを欺いて主張している不公正な民族だ。
政府はアベノミクス期に適正な健康で文化的な最低限度の生活を破壊した。
おカネより安全基準、おカネより機会均等、おカネより個人の幸福追求、おカネより地域の明るさ、おカネより心(人間の尊厳)という人類史に沿った前向きな語りかけを推奨したい。
政治家たちも、予算権や特権を目指すのはやめて、国民ひとりひとりに予算を分配するための奉仕者たらんと緊張と多忙を極める聖職者になって欲しい。
私利私欲の公益主張は実現しないパフォーマンスだ。
今日何人救えるかという地方や現場での動きこそ公益だ。
国政はそのための支援者奉仕団体である。
国体護持のために国民の努力を足蹴に吸い上げるだけでは、悪意や悪心に満ちた邪悪な政府だと指摘されても反論の余地はない。
国民イビリのための北朝鮮のような精神保健福祉法32条その他の問題ある法律は廃止する。
そこからしか国政の善意の証明はなされえない。
一律時給1500円や大幅賃上げなどという悪意の軍政主義は支持できない。
庄屋や幕府の士族たちは現場の庶民の生活をつぶさに知っていた。
悲惨さと残虐さをぎりぎりまで回避する知恵をもってしても、これからの日本は生存基盤が日々破壊されてまともな人間として生きられない人が増え続ける。
古今東西、体制の崩壊は、政治的によりも先に庶民を指導する階層から始まる。
日本はすでに崩壊しているが、体制が存続している。
首のない死体がしばらくは動いている。
やがて死後硬直から腐敗の時期に差し掛かる。
指導階層の腐敗を野放しにしたものが全身に及ぶまでの時差で大衆がゾンビ化する。
数年前東京でローマ教皇も似たような指摘をしていたが、見方は違えど重なるところがある。