FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

橋下徹と泉房穂 同じような経験から違う方向へ 無駄な苦労実る苦労

エリートコースを歩む人ですら人生はほぼ思いどおりにいかない。

ある程度予定を組んで想定できる準備を万全にしていても、神の仕業か罪業か、苦しみを避けることは不可能だ。

一般の出身ではなおさら四苦八苦する。

貧乏な家庭から医師弁護士などになるケースでは、わかりやすい違いがある。

Aパターンは、健全さマックスで健康知識を普及させたり、弱者を法的に支援したり、泉房穂明石市長のように子供や障害者のために尽力する。

Bパターンは、反社会的勢力の人権を尊重して、まじめな人を追い出しクビにし時には自殺に追い込むような、橋下徹大阪市長タイプ。

貧乏だったり母子家庭だったりすると偏見や嫌がらせにさらされても公的に救済されることがほぼないので、その苦しみを感じる人間の反応は熱量として高いだけでなく、反応の性質が異なる。

人間を恨むか正義を社会に働きかけるかの違いだ。

恨む者は、他人を害しても構わないから反社会的勢力と慣れ親しむ。

政治的にも信頼関係を破壊して不幸を最大化する。

病んでいるので、類は友を呼ぶで病んだ日本人が熱烈に公的イジメや搾取を支持する。

いかに苦労が無駄になっているかよくわかりやすい。

苦しんでいる人間という不幸分類や劣等感をベースにして大人になると、恨みを晴らすことと仕事が一致する。

一方で、みんなが無駄に苦しまないように最大限みなさんのために手を尽くそうという人間の苦労は無駄にはなっていない。

負の連鎖か前向きな上昇回転か、その明確な違いは傍目には歴然としているのだが、病んだ日本人はなにかに呑み込まれている自覚なく、負の連鎖に共鳴してBパターンへ流れやすい。

テレビオタクやブームでチャランポランな屁理屈と目くらましで簡単に騙される人もいる。

自由と民主主義だから必ずしも平和も幸福も約束されていない。

戦争も殺人も詐欺も虐殺もすべて投票によって正当な行為とされる。

自分が苦労したから、子や孫も苦労するべきだとか、また戦争すればよい、いや戦争するべきだとか、神道の洗脳の深刻さは計り知れない

ひとりひとりがその未来を自分で積極的に選ぶようになれば、病んだ日本人勢力は淘汰されて、みんなで笑顔に前向きな努力の実る日本になりゆく。

自分だけの幸福を掴もうと進学就職先やパートナーを選んでいるつもりで、暗黒列島のネオンは地獄の業火。

選ぶためには、人間として選ぶ基準が大切なのだが、そこを教える大人たちがほぼいなかったのだ。

弱者イジメをする大人たちの背中を見て、感覚を麻痺させてイジメ技能検定に合格した少年たちがヒトラーユーゲントさながらに、政治的にも悪党を集めて非民主的な横暴を極める。

神道の思う壷に、弱者イジメの先鋒を買って出る。

暗黒の地獄列島を明るくする人間はいないのか?

自分の心を誤魔化さずに、心を鎮めてよく考える。

善悪は法律の定めだけで規定できるものではなく、それ以前にわれわれの心が感じ取るものだ。

法律はいくらでも誤魔化して心を誤魔化していないというアクロバットが好きな人や、法律だけは守って心なんて捨てるほうが儲かるというちゃっかりさんタイプもいて、賢さや世界人類のなかのバランスを普遍性として言行一致の人間に進化できればそれは雲から頭が抜けている。

地域の神社や伊勢神宮などを名所旧跡や歴史博物館として国民の参拝対象から除外する政治家が求められる。

古代宗教は現代の幸福追求のために科学的判断を考慮する民主的法治国家にはそぐわない。

国の繁栄と国民の幸福を一致させる健全な国造りのための最大で深刻な障害が国家神道の政治的残遺である。