大河ドラマも時代劇もテレビ媒体で若い頃は時折見ていた。
戦国時代から幕末が主な時代だから、政治と戦闘が大きな位置を占める。
家族を殺すのも、同じ日本人同士で殺し合うのも、歴史的な正しさであり、われわれ現代人も同じように、日本人を殺すか見殺しにして1人前の成人だと教え込む。
家父長制が絶対であり、近代民法すら理解できない日本人たち。
わたしの祖先には士族がいるが、近代明治以降の士族はあまり慣習を変えず、日本国憲法でようやく慣習を捨てて個人の自由を部分的にでも認めるようになった。
それは家父長制を遺しながらのもので中途半端で釈然としない感覚である。
しかし神道が残っているからには、律宗も併存するから、日本国憲法も律儀に守らねばならない複雑な事態が生まれる。
人権はあるはずだが、面倒な者は排除。
欧米に留学する一部が特権階級化する本末転倒さ。
戦後日本の近代化の過程を破壊するため、日本人の意識を逆行させるために時代劇が使われてきている。
人権がどうのより、子供になんでも強制強要し、時には殺害し、多妻で愛人妾も不問とし、女性の発言はヒステリーか事実無根の讒言として例外的に政治利用される程度。
絶対君主と天皇というセットをすりこむ。
虐待防止法がいくつできても、さっぱり悲劇は減らないどころか増える一方。
洗脳されているから、高等専門教育も贅沢だし、虐待されたら人生は終わりとされ、公家への上納金文化からカルト宗教は標準化されて進学も人生も諦めさせられて、御恩と奉公よろしく奨学金を貸し付けるという悪徳商法がまだあっても疑問を抱かず、先進国から見ると常軌を逸する非常識の蔓延。
戦国時代の殺戮、殺し合いを日常の風景にしたい神道教育は有害だ。
自民公明に不満なら民主党に投票しろと内戦を煽り、殺し合いに予算削減と密告暴露合戦。
神道の問題を指摘する学識や政治家はみんな中国共産党の一味だとつるし上げる。
人権問題に関するまともな議論を拒否し言論統制する。
日本人には自由と民主主義を語ることができない。
むしろ神道が中国共産党同様の全体主義であり絶対君主制であることを認めずに、日本が民主主義国家であるかのように偽装工作を続けている。
日本政府という公務員たちが神道のための奉仕者であって国民全体の奉仕者でないことは明らかだ。
議論する民主主義ではなく絶対君主の官僚政治への絶対服従を強いる国民主権などありえない。
国民の申請権を否定し我慢を強いる自殺教唆のための行政とマスコミは基本的人権などさらさら認める気はない。
餓死していないというだけで、官僚政治に善意があると開き直る厚かましさが神道の特徴であり、死亡すれば自己責任だと罵倒する野蛮なカルトである。
表面的な世辞で死者に丁寧な印象操作を繰り返して免責無罪放免を赤信号みんなで渡れば怖くないと洗脳して国民全体を共犯者に仕立て上げる。
国民はみんな洗脳されて感覚が麻痺してイジメ殺害や見殺しを常識とマジメさだと思い込む。
大河ドラマや時代劇というのはいまだに、非人道的で野蛮な日本の虐殺文化を国民に洗脳している。
公共放送が公益に反する作品を放送するのは問題だし、時代錯誤で悪質な視点で作られた脚本を採用する恣意的な政治的意図を感じとる人間たちも一定数いるのである。