FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日本で元総理が銃撃された意味

先ほど死亡の報道が各社から流れたので、死亡したのだろう。
悪運ばかりではないので善行の1つくらいしたのだろうか。
ただでさえ政治家は恨みを買う仕事で、しかも戦争をしようとか地方予算を削ろうとか、さらにえげつない悪事の限りを尽くした生涯。
その功績は、日本人一般にはまったくないどころか、深刻な害毒として負の遺産労働法制とアベノミクスが遺された。
ネトウヨたちは一斉にご冥福をと口を揃える。
ヒトラー毛沢東スターリンが亡くなったら、それは政治関係だけで葬儀する。
これからの日本を考えると政治による大衆の大量死がすでに始まっており、一般国民による追善は成立しない。
事態は改善しないし、状況は好転しない。
残虐な政治は民主主義だから許されるという理屈は、犯人が処罰されれば銃撃は自由行為だというのと同じ。
今の日本は決して民主主義ではない。
報道も自由ではない。
政治力と経済力による暴力と統制と強制。
その反動はこれからも頻発する。
物理法則は精神や魂のうえでも作用している。
古今東西、人間の心を踏みにじり破壊した政治家たちの最期というのは、あまり平和で幸福なケースがない。
公正ではない選挙、政治に対する革命や発信の意味合いや意図があったのかどうかは不明だが、神道自民党関係者でなければ、決して好かれるような言動はしていない政治家だった。
旧態依然の古代原始政治に対して、一石を投じることになるのか?
日本の民主化はあり得ないだけに、勘繰る人がいてもおかしくない。
犯罪行為は責められるべきだが、一部の政治家の不正や悪事があまりに野放しで辟易していたので、政府や政権はこの機会に心を鎮めて謙虚さを取り戻したらよいと思う。
無反省な人たちに被害が出ても無反省が故の被害と言えなくもない。
数の力を絶対だと居直るだけの政治は民主主義とは言えない。
軍事力が絶対だという政治家が銃弾の絶対的力に死亡するというのは皮肉だ。
防衛費を倍増しようという岸田首相は飛んで東京に逃げ帰った。
国民を守るより、政治家本人の安泰しか考えていない。
犯罪は許せないというが、いくら国民が犬死してもどうでもよい。
悪人が成仏する方法は唯一日蓮正宗をやるしかない。
逃げ回って勝ち逃げしてやりたい放題しても、死後までは逃げ切れない。
政治はみなさんを不幸にしている。
エリートが悪事ばかりやっていて、法的に網を逃れるだけの国に、正義はあり得ない。
数百万人殺せば功績功労になり、たった1人殺して罪人だというのは、著しい不均衡不平等なのだ。
正義のない汚ない国は神道が作っている。