FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

教員の子供から見る教員という人種

ひとくくりに教員とはいえ、幅広くピンキリだから、参考になるかどうかは人それぞれ。

父親の場合は高校現代国語教諭2種だったが、それよりも重要な要素がたくさんある。

平民出身の場合、教諭はただのコーチだ。

よほどの経歴、資格や留学経験でもなければ、コーチで終わる。

私立なら経営者に気に入られるかどうかも大きい。

教職員の労働組合がまだ権力の強かった頃は、人事権に絡んでせいぜい教育環境をマシにすることができた。

つまり、富裕層、神官僧侶、華族士族出身の教育事業家ありきの日本の教員だから、平民教員は業界のモグリであり、あまり幸福とは言い難い。

母方の曽祖父は士族藩士で高校の軍事教練もみていたそうなので、父親とは天地雲泥である。遠縁の歯科大教授がいたり医科大教授がいたりするとなおさらだ。

モグリとしての反動がでる。

気負うからである。

より大きなプレッシャーの中でまじめに皇国教育をやらねばならない。

朝毎日神棚に榊をそなえる。

DVが義務化されているがごとく、癇癪を起こして様々な虐待を頻繁にやる。

戦時中に士族軍人は平常心で軍務をやり、にわか招集軍人もどきは異常なテンションで暴行虐待を軍務だと間違えたのに相似である。

母方の祖父母には、暴行虐待は微塵もなく、精神を研ぎ澄ました無言の精進と子ども達への優しい励ましがあった。

モグリの教員は、体罰と校則で生徒をいびりあげ、監視するだけではなく、その矛先を子どもたちにも向け、拳骨で振りかぶって殴るのも機嫌が悪いだけのことである。

よくガラスは割れる。

真夜中に児童は屋外に出される。

馴れない職業と劣等感からであろう。

父権絶対主義と教員絶対主義で子どもたちにも生徒たちにもマウントする。

所詮、下っ端コーチのコンプレックスの塊に過ぎない。

いくらプロテスタントの哲学や皇国の志を持っても、現場では役に立たない。

下に威張り負荷をかけるだけしかない。

人間として人を育てる心はない。

最近は就労環境が悪化しているが、雇用条件以前によい仕事をしているわけではないから、もはや流れとして教育環境も悪化している。

よく教育予算をかけろと言うが、残念ながら子供いびりの獄卒に安定雇用を提供しても環境改善はしない。

キリシタン弾圧、文科省の合理性のないきまりごと、教育委員会の人脈、政治宗教のコネ、身分階級意識などたくさんのバイアスが教員をコントロールして、イジメや虐待に生徒イビリなどが頻発する。

余計なことしかしないから、過労死ラインで働かせるしかないレベルの階級なのだ。

小学生のころ、しょっちゅう殴られ家から締め出されていたので、教員の父親が死んでくれたらよいと思った。

計算上定年65歳にあたる時までは教員給与額が保険金支払されるのだと聞いたので、死んだら安心して暮らせると思ったのだ。

子どもとして親に同情できるところはしようとするのだが、どんなに努力しても日蓮正宗大石寺参りをしても、やはりわたしは教員の父親には生きていてほしくない。

趣味で教員免許をとることにも反対されたし、兄弟の学費も出さず大学生活の仕送りすら嫌嫌で、子どもも生徒も人格否定するようなガラの悪い土民レベルの親族は誇れない。

平民だから悪いのではなく、士族と富裕層に対する劣等感が最低のクズなのである。

富裕層だった母方と釣り合いがとれていない苦しみや資本家への恨みを子ども達に向けるのは、人間としてカスだ。

有名大学へやるため、バイオリンを弾かせるためなら、本来2000万程度の財産を別経費として使っても構わない母方の常識が正しい。

教員はタクシーや特急列車利用、寿司や刺し身を子どもには贅沢として威張るような小さな大人たちだった。

貧困ならいざ知らず、最も物価の安い政令指定都市で当時ゆとりある収入の中で、劣等感にやられた悲惨な教員のみじめな日常的に暴力をふるう姿は、二度と見たくない。

教員同士では社交辞令のスキルをもって、よき教員として庇ってもらえる。

しかし子どもを騙すことはできない。

下級官吏同様くだらない人間たちが多すぎる。

ふりかえってみて父親の周辺にも尊敬できる教員がいたかどうか甚だ疑問だ。

いくらでも教員の醜態を挙げることはできるが苦痛が甚大で、現在もなお思い出すだけで迷惑なDV親そのものだった。

母親は僧侶の健康な教員を褒め、わたしの評価も同様であった。

旧身分で教員を差別するのは悪いことだと思う人たちがいるが、差別されるには相当の理由があるのではないか?

もちろん旧身分だけでは判断できないものの、結局は平等や身分保証といって悪い教員を増やし続けてきている事実は否めない。

公務員も有資格者も、そもそも選抜基準を間違えている。

免許更新についても適切であるとは言えない。

教育基準、教育は何のために誰のためにいかになされるべきなのか?

神棚と政府のため、暴力宗教や暴力やイビリのため、株価や戦争のためなのだから、教員なんてものは下級の調教師。

もし教育者をやりたいのであれば、プライベートで開業するか大学や研究所の高い地位まで行かなければまず不可能な途上国日本だ。

そんな理由で悪意ではなく、劣等人種教員にあまり関心がない。

とにかく楽しく学べる環境を一途に求めるわたしの感性は正常である。

一般にも宗教熱心だったり世間体貢献アピールだったり、日本人は教育と虐待が一致することがあまりにも多すぎて異常である。

子どもたちにさえひどすぎるこんな国は再び滅びるがよいのだ。

尊敬に値する教員?

もはや国中に見当たらない。

筒井康隆の「くたばれPTA」をもじって「くたばれダメ教員」とでも言うべきか?