サイクリングとは言うものの、今日はいつもの半分の距離で、往復31・1km。
目的地を彩湖にしていた時点では約40kmのはずだったが、河川敷の途中で休んでそのまま帰路につく。
山手通りの要町交差点付近で、二人のサイクリストに追い付いて、そこから志村坂上交差点まで追走した。
あたかも二人の兄についていく妹の必死さを連想する。
スリムなサイクリストがギア比最適で加速しているから、ちぎられるのかと最初は思った。
しかしすぐに脚力(筋力)と筋肉のつき方が違うことに気付く。
わたしは肩で息をし、彼らは上体が揺れない。
登りの立ち漕ぎの速度がわたしの3倍速。
平地で3✕8の3✕7でかなり回さなければ彼らのペースにならず、わたしの巡航は3✕6。
志村坂上で赤信号停止したら、長い下り坂でもう姿は見えなくなった。
荒川の土手に着くと、彼らはのんびり休憩している。
そこから河川敷に入るまでしかついていけなかった。
走行中の分析で、①体重による加速の不利②ギア比の粗さからの不利③筋肉の質量の不利が目立つ。
②は今のスプロケットでは致し方ない。交換予定に購入してあるものに交換後、多少解消される。そのうち要交換費用。
①はサイクリングの頻度を上げることと、毎日の散歩で運動量を確保し、最近ムダに食べ過ぎの摂食内容をきちんとマジメに変える。節約になる。
③は①と同対策に加えて、股関節周りの力みを解消する足振りを毎日やること。痛みを伴うが歩き方、漕ぎ方が少しずつ変化して、筋肉のつき方も変わる。コストゼロ。
ちぎられ方がとてもわかりやすくて、加齢と肥満と向き合う最高の機会に恵まれてありがたく思う。
個人戦の負けは個人の努力を要する。
誤解されて怠惰にすら見られかねない生活からコンスタントな活動的生活へ移行中だが、その中で自分の回復のために具体的に何が必要でどうすれば有効か考える。
妄見網中と言っ法華経では、なにかにとらわれるなと教える。
不健康に誘導する親族、上司、知人、友人、同級生、医師、教員、マスコミに振り回されずに、洗脳こそを警戒して、主体的に健康に向かうべきだ。
宗教(国家主権)は実に有害で不健康だと知るプロセスは大切だ。
健康に向かう自由を侵害しているもの、それは宗教。
妄見網中、それは宗教。
音楽やサイクリングは、宗教から人間を自由に開放し、健康に向かわせてくれる。
節約型の楽しみ方さえ覚えてしまえば、何の問題もない。
滝の汗にそよぐ風と青空と眩しい照りつける太陽がわたしを励ましていた。