デマというのは、事実とは異なるからデマ。
事実と事実から導かれる体制批判を含めたデマという定義に拡大するのが、全体主義だ。
しかもそれを浄化と呼ぶ。
安倍氏が美しい日本にと言って生活保護減額裁決をさせた虐待思想に似ている。
自分たちの思い通りにならないことは、歯痒い。
しかし、誰もがそういう思いはしている。
官僚や権力者は、弱く忍耐力がなく、批判を受け入れられず、議論する能力がない。
だからこそ、ひとつの基準以外をすべて排除弾圧する。
チベット仏教弾圧、天安門事件、少数民族への人道的犯罪の疑義、香港民主化運動家弾圧、その他事実は枚挙に暇がない。
それらに対する批難、批難決議、学術的指摘ですらデマとなっているわけだ。
オレ流というのは、とても個人的なことなら構わないものもあるが、さすがに12億人以上に共産党流とか1億2千万人に神道流とか、そりゃムリだと誰しも理解できる。
マスクができない一定分類の知的障害が過半数とか、コロナワクチン接種は官僚たちの過半数がしていなかったとか、政府の全体主義国家指向がアホだとかえって浮き立つ。
多様性とよく口にする岸田氏も、戦争準備だけで国民を従わせたり統治している気分に浸るのは愚かだと自覚してほしいものだ。
アホな国民を基準にせずに、賢明な国民を増やすような施策が必要だ。
政治家が日本人がどんどんアホになるように仕向けるのはあらゆる意味で悪いことだ。
中国も自由がない恐怖の全体主義国家だが、まだ生活にゆとりを持たせている。
北朝鮮のほうがロケット技術が進歩している。
日本ほど駄目な民族はないかもしれない。