FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

子育てとエゴのバランス

近年、社会保障を半減して国民の老後が悲惨になるように政府が全頭脳を注ぎ込んでいる。

キリスト教系、仏教系もその指令に従順で、マスコミや学者も老後無理して働け、無理なら死んでくれと記事を書き、報道する。

政府が統一教会的に変容していることも、エリートが国民を死滅半減させて出世することも明らかだ。

そのなかで、子育てや子育て支援をする必要があるか?

そのなかで、虐待や育児放棄が起こっているので、むしろまっとうな子育てそのものがエゴ視される。

衣食住を整える善意を前提にしている親子共同体はどんどん減り続け、価値観がアマゾンや野人の価値観で占められていくと、NATO諸国の価値観と反目する。憲法違反、とくに基本的人権の侵害が蔓延して、不正や偽装が取り締まれないほど増える。

これはすでに70年代から始まっていた流れだが、すべて政府主導である。

政府がエゴになり、株価配当のためだけに国民生活を統制するためにインフラ投資を避けて巨大民営化事業をすすめた結果、子育てもエゴ、子育て支援は商売、補助金は不正受給という救いようのない日本になった。

ここ10年目立つのは、街中で青年若年者がかなりの割合で「やばいやばい」と口走る頻度だ。

95年前後、わたしが大学生の頃まではそんな単語を日常会話に使う人は、周囲にいなかった。

刑事ドラマの悪役、反社、ゴロツキのセリフである。

自社・自公政権というのはユダヤ帝国至上主義でありアメリカハリウッド映画の隠語をスタンダードにした流れを形成した。

はたして貧民窟のセリフを標準語として蔓延させて子育てがまともにできるだろうか?

全国民が怪しい被疑者として育ち、あたりまえのボランティア精神を理解できない。

政府主導、政府基準では、この国ではまともに子育てすることは難しい。

国が目指しているものが、日本全体のスラム化であり、伊勢神宮財閥のための政府の統一教会化であることを直視して、改善を請求する必要がある。

違憲法令も多数あるが野放しだ。

議員も官僚も学者も腐りきったエリートゲシュタポなのである。

政治不信はまっとうである。

私学にみんな流れて、もはや欧米に流れてもあたりまえの子育て教育環境で、ひたすら資金力頼みばかりでは、もうまともな国家社会とは言えない。

自己責任なら虐待追放したほうがよい生活になるのだから、努力や善意で損をしたくないという退廃堕落ばかりになるのは大衆にとって道理だろう。

人間の社会や共同体意識は破壊された。

敗戦後、神道に替わる価値観とコミュニティを再構築する必要があったのだが、建設的議論はなく、神道の御用聞きの日蓮正宗創価学会が隙に乗じて成り上がっただけであり、再び日本自滅の坂を転落している。

日本再建再起の要素は摘み取られる。

ほどほどの学者も黙殺される。

学者の団体まで政府統制する。

救いようのない馬鹿な宗教レベルの民族性なのである。

人間未満に子育てなどできるわけがない。

馬鹿が子育て支援どころかろくでもない事案ばかりで話にもならない。